No.561 釘宮義人牧師の最近の日記 2012.10.7

釘宮義人牧師の最近の日記   

 ☆亡き父の信仰を頂こう
 ☆亡き母の愛に育まれよう
 ☆亡き妻の知恵に教えられよう
 ☆我が家系に確実なる信仰のリバイバルを起こしたまえ
 ☆説教だけは、一生懸命やろう。あとはいい加減でよい。
 ☆流されないこと、自分の道を行く、人生、すべてその覚悟!
 ☆時間が空いた時はすぐ、祈る、聖書、読書、手紙。
 ☆私の人生、信念のある人生を生きる。曖昧な生き方をしない。


2012年9月4日~(抜粋)

 フト気がつけば10時45分、何をぼんやりしていたのか、4時間も無為に時間を過ごしていたのか、悪い癖だ。
 いやいや、今の僕、何も考えないで、ただボンヤリしているなんて考えられない。僕はいつも何か考えている。しかし、いつも何か考えている、無駄な事ばかり考えている。それが僕じゃないか。
 僕に取って、緊急即時只今必要なことは、神に密着して祈ることだ。神より知恵を力を頂き、直ちに示されるまま実践することだ。時間の猶予は無い。お前の寿命はあと僅か、10年だよ。命を大切にせよ。
 主よ、何を為すべきですか。教えて下さい。今、何を為すべきか、それが分かりません。
 「主よ、今、私は何を為すべきですか。教えて下さい」。この祈りが目下の最大の私の務めだな、「今、私は何を為すべきか?」、この祈りを主に真剣に捧ぐべきなのだ。

 分かった。戦うべきなのだ。戦闘準備の掛け声だけは挙げているが、一向にたち上がろうとしない腑抜け者はお前だ。卑怯というよりは元々戦う意志が無いのだ、間抜けな平和主義者である。立ち上がれ、武器をもって立ち上がれ。武器とは御言と祈りと聖霊である。まず戦線に向かえ。御言を探せ、御言を得て従え。そして戦線に立て。
 「義人よ、今だ。立ち上がれ。遅れを取るな。主の時だ、戦いの時だ。主に福音ののろしを上げるのだ。」

 11時35分、入浴。
 ベッドに上がって寝転がっていたら、1時になっていた。起きてメモに書きつけた、「戦いののろしを上げよ。福音の叫びを上げよ。世に向かって戦闘ラッパを吹き鳴らせ。金と世の栄誉を求めることを止めさせよ。神の戒めとキリストの祝福の言葉を告げよ。神に従う時、世の栄誉と幸福を失うかもしれないが、それに倍する祝福と喜びと、力を得るであろう。何よりも内なる力と平安とである。何物にも負けない意志力と知恵である。」 1時20分になっていた、感謝して寝る。神様、休ませて下さい。世界と宇宙に平和と祝福を与え給え。
 同40分、思わず祈っていた、「主様、回心以来、さして失敗もなく、大それた罪を犯すことも無く、平安と歓喜の中に生きて来ました。感謝一杯です。これからも、これまで以上に祝福され、栄えある人生を送らせて頂けることを感謝し信じて祈ります。


 午前3時40分、「挨拶の度に相手の手を握って祝福を祈り、具体的に健康や豊かさや、交わりの喜びの無言の挨拶を送るのです。この挨拶を送ると、その心はこちらに帰って来て喜びや健康が当方に跳ね返って来ます。挨拶して送れば送るほど跳ね返ってきますから、当方はますます豊かになるばかりです。この無言の挨拶の握手を持って繰り返しましょう、これが幸福の生涯の秘結です。」
 これまで執り成しの祈りと思っていたけれど、そうではない。無言の祝福、健康、豊かさの祈りを送るのだ。この無言の祝福、健康、豊かさの祈り交流が互いの祝福、健康、豊かさの倍増を生むのである。



 それから、食卓前でボンヤリしていたでけだと思うのに、時計を見れば6時半、エッ、そんなに時間を喰ったのかと呆れてしまった。
 イヤ、何もしていなくて時間を空費してしまったというのではなくて、何も考えないで時間を空費してしまったことを口惜しく思ったのである。
 こんな事をあれこれ考えている内に、7時半になってしまった。あれこれ考えるのではなくて、「真に大事な事を」考えるべきなのだ。私の一番
「大事な事」は何か。「今、私は何を為すべきか」では無くて、「今、私は何を思うべきか」なのである。これが「一番大事な事」だと分かった。
 


 10時10分、入浴。
 風呂から上がって、11時少し前、食卓前にて、これを書く。「今、私は何を思っているか?」 即答、「ハイ、私の人生は私の目の前にあります。更に、これからの私の人生が始まります。凡ては私の責任です。然し、私の背後には主イエス様はが居られます。私は主様に委ねてお答えできます。主は今も、生きて居られる。凡ては主の御手にあり。今日も生きよう、主が居られる、と。この主様にあって、私の人生は万全です。アーメン!」 
 12時から1時20分頃まで、夢ではないが、夢のように、いろいろ思う意識の流れがあって、意識が高まった。文章に書けないが、気分が高まった。こういう意識の昂揚は何ものにも替えがたい価値がある。人間の値打ちが換わってくる。
 聖霊の働きだろうか。意識の昂揚が甚だしく、居ても立っても居られないという感じで、昂奮している。何かやりたい。思いのやりったけ、働きたい。活動したい。世に訴えたい。
 今、夜半を越えて1時55分だが、大きな変化が私の魂に起こりつつあるな、と思う。私の人格に強固な高まりが起っている。神様の押し迫りだ。感謝、感謝、言い表せない喜びがある。
 神様、有り難う御座います。今後、素晴らしいことが起こるでしょね。
祈りつつ寝ます、いやいや、寝て居れませんねえ。神様、感謝します。一切が変わります、神様が後押しです。私はただ、イエス様を信じて前進するだけ、全力を尽くすだけ。
 今、2012年9月25日午前2時過ぎ、この記録は生涯忘れ得ないであろう。私に取っては掛け替えのない経験である。大感謝! 大感謝! 
 午前2時20分、寝る。


 昼食後、何をしていたか、忘れたが、今は午後3時半。食卓前に居る。何も為す事はない。しかし何かを為すと言うよりも、何かを思い、何かを考え、何かを祈り、常に主と交っていたいのが、私の願いだから、私には、何の不足も、案じることもない、平安である。90歳の老人として、こんな幸福なことは無い。神様と、信徒の皆さんに愛され、護られて、生きている此の私は、世界最大の幸福者であることに間違いは無い。

 
 6時15分、再び教会に行く。携帯電話が見つからず、家に帰っても見つからないので、マゴマゴする。食卓前に坐って新聞を読む。
 7時、また教会に行く。一時、家に帰り、応接室でトミさんの写真を見て、感慨にふける。彼女の信仰とその愛情を忘れることは出来ない。私の生涯の想い出である。そして苦労をかけた先妻・寿美子のことを思い出さずにはおれない。トミさんを無理矢理に私の後妻に連れて来たのは正に彼女であったから。私たちの最高の幸福な結婚の恩人は正に先妻・寿美子である。こんな不思議な話しが又とあろうか。

 6時から7時頃まで、夢想すると言うか、自分の形を作って行く絵を描いていた。一種の人格形成の試みだろうが、興味深々、良い経験だった。
 7時過ぎから、瞑想する喜びを些か味わった。これからも試みてみたい。大切な試みだと思う。
 8時半、東の空に佳い満月の月を見た。
 9時半頃だったか、我が家の区画の一角を一周した。約20分? 心の印象としては日本を一周したつもりだ。日本を我が手に収めたい。この一周回路は今後ずっと続けよう。日本列島を我がものにするのだ。
 今後も、ずっと続けよう。10時15分、もう一度、日本列島を一周しよう。約10分だった。これは良い。今後もずっと続けよう。ひとり遊びだが、続けると、きっと良い習慣になるだろうね!
 10時50分、せつこが「お父さん、お風呂に入ろう」と言う。「そうだね」と、風呂にスイッチを入れた。20分すれば熱くなる。待って居よう。待つことは良いことだ。期待して、希望を持つ。この癖を心に着ける、常に前途に希望を持つ。目標を立て、前進し、到達を目差し、目標を達成する喜びを体験する、この体験を何事によらず擬似体験して、その達成感覚を記憶して置くのだ。20分たった、風呂に行ってみた、まだぬるい。待っている。目標を立てて、これを維持し続けることは大切である。これは習慣づける必要がある。意志の持続である。こうして一々理屈つけているのは我ながら可笑しくなるが、可愛いくもある、良し良し、しっかりやれ。良い癖をつけることだ。
 風呂には入ったのだろうが、それは忘れてれている、ともかく11時を過ぎて、一旦寝たのだが、1時50分、目を覚まし、起きてしまった。この時、せつこがまだ起きていて、声を掛けてくれた。食卓前でじっとしている。
 夜半2時すぎ、ふと窓を開けて外を見ると、我が家の街灯の教会の表示看板の輝きが嬉しい、感謝! さあ、寝ろうと思って、寝る前の祈り。「日本の祝福、世界の平和、宇宙の完成を祈る」、内村先生の晩年の祈りの真似だが、こういう祈りの出来ることは嬉しい。


2012年10月1日(月)
 何時に起きたかなあ? 多分、5時には起きて早天の祈りを済ませたはず。それから、朝の食事をし、午前、午後を過ごしてきている。今、5時35分、誰か知らないが、女性の声だ、「悪霊追い出して下さい」と電話してきた。祈って上げたが、終わった後で、どんな人か分からない。実に気になる。こういう人は電話でなく、実際に教会に来てくれると良いなあ。今度は、そう勧めよう。


2012年10月4日(木)
 5時頃から、目は覚めていたと思うが、8時になってやっと起きた。
同15分、会堂に行き、早天。

 10時半、祈祷会。

 私は信仰の集団より飛び出して、身軽なクリスチャンになりたい。そういう人を無教会主義者と言おうか。私もその一人だ。とは言うものの、私はキリストの福音大分教会の牧師だから、矛盾するが、仕方無い。



〔父は2012年10月5日午前0時55分、天に帰りました。90歳でした。その日まで祈祷会でメッセージをし、普通に食事もとり、その夜、風呂に入っておそらくすぐの時間と思いますが、湯船の中で心停止しました。生涯現役、キリストの弟子の人生だったと思います。釘宮せつこ〕
[PR]
by hioka-wahaha | 2012-10-09 20:07 | 日岡だより
<< No.562 無言の祝福、健康... No.560 信仰とは明日を神... >>