No.559 永井先生と野津町へ 2012.9.23

永井先生と野津町へ  

 先週の木曜日、永井先生がいらっしゃいました。翌日の金曜日、宮崎から高森先生もいらっしゃり、ご一緒して野津町に行ったのです。丁度、その週の月曜日の新聞に「野津町の幻?キリシタン墓地」という記事が出ていたからです。
 私にはこの野津町は小さくない想い出のある町です。それは秦さんという篤信の兄弟が居られた土地だったからです。私はよくその兄弟のお宅を訪問したものでした。この兄弟はその後、神様からのお示しを受けて、南米アルゼンチンの日本人移民のクリスチャンを応援したいという思いにかられて家族を連れて旅立ったのです。そういうこともあり、
 私はなぜか何時も、野津の町が気になっていたのです。そこへ、その野津の町が「幻?キリシタン墓地」と新聞の記事に出たものですから、私は矢も盾もたまらず、野津に出かけたのです。
 不思議にも神様が人に出会わせてくださり、速やかに町役場の方に応対していただけましたが、シートをかぶせた状態で、ふだんは公開していないとのことで残念でした。(公開日は大分合同新聞に載るそうです)
 あの町の国道の脇には、かつて「キリシタン記念館」があって様々な遺品を展示してあり、熱心な牧師先生がたをお連れしたこともありました。現在その建物はありませんが、そのことも尋ねるとキリシタン墓地とあわせて将来展示される予定らしく楽しみです。
 大分県にはキリシタンに関する古い情報がもっと沢山隠されているのではないかと思います。皆さんのお宅の古い家財道具、ご先祖さんからの残された物の中に何か、ありはしないでしょうか。
 私の家などは父の代で分家していますので、代々の古い家財道具など、何もないのですが、ずっと本家で続いておられるお宅などでは、一度お調べになると意外な収穫があるか知れませんね。
 それは兎も角、野津のキリシタン墓地の新聞記事などをお読みになって、皆さんの記憶に残して置いて頂きたく存じます。いつか、是非みなさんとご一緒に野津の町に行って見たいですね。《く》



《戦時信仰日誌》 (昭和二十年二月十六日起)
 
 限りなき愛よ! 聖き愛よ
 赤き血したゝる十字架の上に
 人の罪を負ひ給ひし主の愛よ
 自ら捨てられ給ひし主の悩みよ
 自ら撰び給ひし主の死よ
 死よ死よ、それは如何なる死か
 死は死によりて滅され
 罪は死によりて力を失った
 罪人よイエスよ、おゝキリスト、我が主よ
 聖者! おゝ我、此の罪人

 聖き光よ、愛の輝きよ
 宇宙の凡てをかたむけつくしても
 おほふことの出来ない此の悲劇よ
 悲惨、凄惨、痛恨の極みよ
 今死に給ふ罪人イエス
 あゝ神我と偕に在し給ふ
 その十字架よ、血汐ながるゝ十字架よ
 ゴルゴタ、ゴルゴタ、
 ゴルゴタの丘
 全宇宙の悲痛をのみほして
 あゝ聖き光よ、愛の輝きよ
 ゴルゴタの丘にみちあふる

 活き給ふ主よ
 今も活き給ふ主よ、永遠に活き給ふ主よ、
 我がいのち!

 心の中にキリストを主と崇めよ、また汝らの裏にある望の理由を問ふ人には柔和と畏懼とをもて常に辨明すべき準備をなすべし、
 
 願はくは主よ、あなたの賜はりし自由によりて人をつまづかせることなきよう、此の弱き僕を導き給へ
 
 主よ常に自ら罪人なる我を自覚せしめ給へ。
 眞の謙遜は常にあなたにのみあります。
 願はくは主よ!その自らも知らざるへりくだりをおあたへ下さい。
 
 
 主在し給ふ我らと偕にいまし給ふ
 主在し給ふ罪人と偕にいまし給ふ
 主よ罪人イエスよ、おゝキリスト
 我が主よ我が友、極悪の友イエスよ
 
 些さゝかの事に心乱れ、あまつさへ周囲の人々にその惑乱を影響させるは恂(まこと)に恥しいことである。然もこの恥辱にともすれば陥り勝ちなる我を如何としよう。
 (つづく)
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by hioka-wahaha | 2012-10-02 17:43 | 日岡だより
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