No.555 夏の風物詩か? 夜の空に花火がパチパチ! 2012.8.26

夏の風物詩か? 夜の空に花火がパチパチ! 

 昨日テレビで、秋田県大曲という所で持たれている花火大会の中継をやっていました。私はその大曲での花火大会を偶然実際に見たことがあるのですが、それは大したものでした。もの凄いものです。
 秋田・大曲の花火は正に日本一かも知れませんが、それはともかく、現に今日私たちに与えられる神様よりの賜物の凄さに目を開かれようではありませんか。それは大曲の花火どころでないです、ハハハハハ!
 冗談を言っているのではありません。私たちは主よりの賜物の大きさに余りに気づいていないのだ、ということに恐れを感じるのです。
 逆の見方で地球人類の文明の終着点を予想すると、西洋文明は地球を一周して世界を覆っています。これ以上は爛熟してどうしようもありません。鍋の中の料理が煮え過ぎてたぎりだし、鍋から溢れ出して外に飛び出してくるように、人類の文明は全人類を圧倒して叩きのめすようになるかもしれません。
 日本もドイツも、勝って勝って勝っての遂に大敗でした。勝ったつもりのイギリスやアメリカにしても今後どうなるか、怪しいものです。そのうち日本やドイツの逆転勝ちもあり得るのでは? いやいや、これは冗談です!
 でも、神の御手による逆転劇はこれからです。世界の終末が来ます。その時、何が起こりますか。世の勝者どもは敗退し、負け戦さの弱虫どもが勝ちどきを上げる時が来るのです。バンザイ、ハレルヤ!
 その日の近からん事を待ち望みつつ、いや確かに、その日は近いと信じます。華やかな西洋文明はアメリカを覆い尽くし、太平洋を越えて日本まで来ました。今や日本は世界有数の大国になりました。これから中国、インド、アフリカ、でしょうか。こうして地球文明は一回りして、その終末がやって来そうな、予感がします。
 これはまあ、世界文明史では全くの素人の私の予測です。お笑い下さって構いませんが、中国、インド、アフリカから、ギリシャ、ローマ、ヨーロッパ、アメリカを越えて、日本にやっと明治の初期到達した文明の香りも今や、驕って老化して息も絶え果てようとしているのではないか、それを私は感じます。世界人類の文明文化は、その終息期に来ているのではないか。この悲壮な予測を持たざるを得ないのです。
 世界の最後のパチパチが始まるのではないかという予感です。《く》


《戦時信仰日誌》 (昭和二十年二月十六日起)
 
 我らが心みづから責むる所なくば神に向ひて懼れなし
 あゝ此の言葉は今やめぐみ溢るゝなぐさめの言葉と変った。今迄は愚かな弱い私の心に取って、甚だ怖しい苦痛な言葉であった。しかし今は限りない喜びと平安をこの言葉に見出すのである。
 ヨハネやパウロやフランシスや、多くの聖者も、今は私供には及びもかなはぬ雲上の人とは思へなくなった。誰にも彼にも近い親しみを感じる。パウロの信仰、ヨハネの愛、それら凡ては一つ主の賜物である。私も又主の賜物により主によりて生きてゐる。誰も彼もその誇るところは主の十字架のみである。然ればヨハネにしろ、パウロにしろ、私を離るゝ事、いや遠い人間ではないのである。むしろヨハネもパウロも我が兄弟である。然り、パウロは幾度となく兄弟よとその教会に呼びかけた。
 
 ザァカイは一切を捨て置いて主に従った。その様に我々も又一切を――― 凡て惑ひも自省も何もかも――― 捨て置いて主に従はねばならぬ、その後始末は主にして頂かなくてはならぬ。
 主のみ懐に来た以上、何を我々は心配せねばならぬといふのか、何を努めねばならぬといふのか、善にあれ悪にあれ私心は今や捨てきらねばならぬ。
 
 愛について―――
 我等をキリストの愛より離れしむる者は誰ぞ。患難か、苦難か迫害か飢か裸か危険か剣か・・・・・・然れど凡てこれらの事の中にありても我らを愛したまふ者に頼り勝ち得て餘りあり。
 然り我らをキリストの愛より離すことの出来ないものは決して我らの力ではなく、そのキリストの愛自体である。もし我らの力と云ひ得べくば、即ち、
 「愛によりて働く信仰」である。キリストの愛に励まされて立つ信仰である。
 視よ父の我らに賜ひし愛の如何に大いなるかを。
 
 我キリストと偕に十字架に釘(つ)けられたり
 此の聖句より我らは決して我ら自身の努力感を汲み取ってはならない。思ふに、一人凡ての人にかはりて死にたれば凡ての人既に死にたるなり。
 自己放棄とか云ふが如きは決して人の力で出来るものではない。我らをキリストと偕に十字架に釘けて、新しき生命に甦へさせるのは、決して我らではない。斯の如きは神より出ずである。
 (つづく)
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by hioka-wahaha | 2012-09-04 14:09 | 日岡だより
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