No.553 敗戦残念日を迎える 2012.8.12

敗戦残念日を迎える   

 もうすぐ、「敗戦残念日」を迎える。決して「終戦記念日」ではない。「終戦」などとはとんでもない。まったく「完敗」、東京をやられ、広島・長崎の原爆、全国各地の主要都市壊滅、わが大分市もそうであった。
 大分市の西部商業部分は壊滅した。幸い、我が家は助かったのだが、その翌朝、私は大分市内を綿密に見て廻った。こんなことをした人は私のほかにおるまい。ほとんどの家に人はいなかった。皆、疎開していたのだ。ただ、一軒だけ、老女が独り泣いている家があった。慰めてはみたけれど、慰めようがなかったのを覚えている。
 敗戦というものは残酷なものである。戦争に勝った国が、負けた国を憐れんで親切にしれくれるはずはない。アメリカはまあまあ良かった方であろうけれども、それでも政府にとっては厳しかったであろう。
 国民向けにはアメリカさんは親切な国と宣伝されて、日本人一同も納得していた趣きもある。日本人は昔から、政府に騙されやすい。
 それは日本人は素直で、お上の言うことを信じて従いやすいからではあろうが、自分の国を占領して来て、我がもの顔にのし歩いている外国人を、このように快く迎えた国民が他にあったであろうか。ところが、日本はそうであった。
 アメリカ兵は煙草を吸いながらニコニコして、さすがにピストルを持っていない訳ではないが、温和な顔で一人で日本人の住む町の中をのんびりと歩いている。警戒心は全然無いようだった。そういう様子を私はよく見たものだ。
 昨日までの敵国人、広島や長崎に原爆を落とした国の兵隊、その人を誰一人恐れていない、嫌がらない。無事に道を通させてくれる。こんな国民はいるものかと、彼らは思わなかったであろうか。
 さて、実は、序文としては長い文章を書き過ぎたのだが、私の戦争中の「信仰日誌」を以下に載せたいのである。ふつつかな文章であり、載せたくない文章にもなりそうな気がするが、それらを一気に無視して、戦争当時の私の文章をそのまま一字訂正、抹消せず、以下に掲載しようと思う。
 題して、私の「戦時信仰日誌」(昭和二十年二月十六日起)である。《く》


《戦時信仰日誌》 

         序

 愁ひ多き獄にしあれど
主によりて活かさるゝ身の幸に我が酔ふ
(昭和十九年十一月二十三日)

 此の感懐は今も尚変らない。我が罪人たること、又悲しみの谷にあること、最低の人間であること、又しかし乍ら人生最大の喜びを與へられてゐること、我が主よ、感謝すべきかな、あなたによりてこれらの確信は、私に終生忘るべからざる記念となったのである。
 今や、凡ては喜びに輝いてみえる。律法は過ぎ去った。奇すしき平和の裡に我が魂は憩うてゐる。そして、思ひも及ばなかった新しい希望に生きてゐる。今、私の求めるものは“完全”である。しかし、それに捉はれるのではない、あせるのではない、確信と平安とを持って、それを追ひ求めるのである。
 いはゞ、その新しき自由に於ける求道生活を、此の記録は示すものとなるであろう。又、それを願ってゐるのである。
    昭和二十年二月十六日
                              釘宮義人
 
 
 私達は先づ、何よりも貧しさに於て生きなければならぬ。此の聖フランシスの言葉は決して忘れてはならないものだ。
 
 基督の完全を追ふものは、先づ自己放棄と、そして清貧と謙遜を学ばなければならぬ。凡てを捨てゝ我に従へ。それは決して容易なものではないが、しかし主と偕にくびきを負ひ、主に直接教へられる時、いとも軽く又たやすいものとなって来るのである。
 
  ヱス君の熱き血潮の今も尚
      あふるゝ思ひ我が身にぞすれ

 此の喜び、何とも言ひ表しやうのない此の全てのものに勝りたる聖なる感動、それは不思議にもどんな場合にも私の心を離れず、いかに心さびしき時にもその底の底の方に、しづかににじみ出るやうにひそんでゐる。
 
 我らが神に向ひて確信する所は是なり。即ち、御意にかなふ事を求めば必ず聴き給ふ。
 誠にまことに汝らに告ぐ。汝等のすべて父に求むる物をば我が名によりて賜ふべし。なんじら今までは何をも我が名によりて求めたることなし。求めよ、然らば受けん。而して汝らの喜びみたさるべし。
 斯のごとく御霊も我らの弱きを助けたもふ。我らは如何に祈るべきかを知らざれども、御霊みづから言ひ難き歎きをもて執成したもふ。(以下次号)
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by hioka-wahaha | 2012-08-21 18:22 | 日岡だより
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