No.549 福音の力 2012.7.15

福音の力   

 昨日、7月14日(土)の夜、8時半頃だっただろうか、何か促されるように会堂に行って祈った。その時、神様は私に非常に重大な確信を与えて下さった。
 それは端的に言うと、「福音の力」(ローマ人への手紙1:16)の確かさであった。私たちの信仰を強める力は「福音の力」、つまりキリストの福音によって与えられる力である。私どもの教会を「キリストの福音大分教会」と称していますが、その根底はそこにあります。
 キリストの福音とはキリストが所有される福音です、キリストについての福音の説明ではありません。キリストご自身が内臓される「福音」こそ、私たちを活かすキリスト様の力です。イエス様ご自身がお持ちになっておられる福音の力が私たちを救うのです。
 福音とは「喜びの訪れ」と訳しても良いと思いますが、もっと良い訳は「喜びの力」でしょう。ここでは日本の仏教、浄土真宗の親鸞さんの言葉を拝借しましょう。それは「歓喜の中の歓喜」です。歓喜の中の歓喜、最高の歓喜です。この最高の歓喜をもって喜ぶ信仰の喜びを内に抱え持つ人は、如何なる艱難にも堪え得る力を把握するでしょう。人生の最高の力です。
 ひらめく刃が来ても、地獄の火が襲って来ても、泰然としておれる信仰の力は内にみなぎる霊的歓喜の故です。昔、長崎のキリシタン迫害の嵐の中で、お奉行の裁きの座で少年の信徒さえもが嬉々として厳しい扱いに堪えていたという記録がありますが、熱い信心による神秘な抵抗力は屡々、こうした文献などに残されています。
 私はこれを「福音の力」と題したいと思います。キリスト様の福音には強烈な力があります。この秘密の力を私たちは頂こうではありませんか。この力こそ、クリスチャンを如何なる難所においても、平安に住まわせ、勝利を与えて下さる聖霊の恵みであります。《く》

 
日々新生  

一九七三年十一月二十二日(木)今朝の新聞によれば、政府は遂にアラブ寄りの政策転換をするという。かつて、中国に媚をうって台湾を捨てた。今度は石油でおどされてイスラエルを捨てるという。信義のないことおびただしい。それならいっそのことギブ・アンド・テイクの外交ということで当初より割り切る手はなかったのか。それもできない。右顧左眄して、実利を失い信用を失う。日本人らしい。悪人にもなれす、善人にもなれない。以って口より吐き出さるる手合いである(黙示録三・16)。
経済的にアメリカ体制に組みこまれてしまっている日本として、どこまでイスラエル断ちができるか問題だ。いずれにせよ、石油はないのではない。あり余る石油を、売りたくないと言っているのだ。交渉しだいで何とかなることだ。日本人全体が幾分辛抱すればすむことだ。買い急ぎさせる商社、流通業者に多分の罪がある。日本人よ、大人になれという以外ない。又、この機会にアラブの状況について、日本人はよくよく理解を深めるべきである。
十一月二十三日(金)昔のニイナメ祭である。我が回心三十周年である。パウロ、アウグスチヌス、ルター、ウェスレー、内村鑑三、釘宮太重、原田美実、石原兵永等、私の霊性の目ざめに最も影響のあった人々を想起して感謝する。真実の神の愛を知らなかったら私は相変わらず、気弱で怠惰で陰惨な悲しい人間であったろう。いつもジメジメとして世間に白眼ばかりむけていた若い日の自分を想いおこし、あの儘生きていたらどんな人間になったろうとゾッとする。こういう、自由な、幸いな人生を与えたまいし神に感謝する。私程、幸福な人間はそう多くはない。
十一月二十四日(土)我が内に充満する神の愛を想う。私は神の特愛の子であると悟る。(朝の坐禅で)
十一月二十五日(日)日曜集会。言いたいことが多く、心があせって、かえって語れず、不本意な日であった。終りの頃、約二十分やや自由を得て語る。宇宙の創造、見えないものより見えるものへ、やわらかいものより硬いものへ、じっとしているものより動くものへ、単なる感覚より心へ、外面より内面へ、そして遂に見えないもの(創造の原点)に還る私流の進化論について語る。特に、人間が進化する時、ダーウィン的自然淘汰でなく、愛と十字架による新しい進化のルールをとることを語る。
モノ不足の時代、それは正直者がてきめんにバカを見る時代である(大臣諸公がどれ程努力しようと必ずそうなる)。「故に正直者がバカを見る政治をするな」と新聞投書する正義派の人も、最後の一線で(その一線がどこであるかは個人差があるが)遂に敗れて「モノ集めの利口もの」にかわる。そして常に、より正直でおバカさんのおかげ(それが十字架だ)で食ったり、あたたまったり、トイレットペーパーを使ったりするのである。人類は、この五万年間、特に狩猟時代にあって、しばしばより強く、より勇ましく、より正しく、より愛にとみ、より保護意識のつよい族長や兄貴分のおかげで危険や敵から逃れてきた。ダーウィンの進化論とちがって、人間においてはより弱く、より卑怯な人間が生き残る。これが私の「愛と十字架による進化論」である。「心の進化論」である。この「生きていることのうしろめたさ。生き残ったもののつらさ」、太宰じゃないが「生れてきてすみません」だ。これが宇宙進化の底にあるキリスト原理の一つの条痕である。
夜、原田美実先生の信学行十一月号で「委託された人の生涯」を拝読する。深い霊的経験と洞察が拝察されて感銘する。霊の人の語る言葉は短言寸鉄、心にとどまって宝石のごとし。
十一月二十六日(月)岸沢「正法眼蔵全講」をよむ。
<つづく>
(1974.1「心に満つるより」No.4より)
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by hioka-wahaha | 2012-07-17 17:07 | 日岡だより
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