No.548 【聖書講義】死人の中より甦れ 2012.7.8

【聖書講義】 
死人の中より甦れ   

 <前号よりつづき>
 「生命の言」――― キリストご自身のことです。キリストぬきでは、人はみなダメです。このダメな人間が、世の光地の塩としてどうしてこの地上に立てましょう。然るに、いったん私どもの内にキリストが来臨なさる時、人は一変して新しい人になります。
 
 それがピリピ書第三章10節にいう「復活の力」です。イエスが復活されたことを「信じています」――― それでは知的信仰、ないし迷信です。「その復活の力を知り」この知るという言葉は8節にも出ました。非常に大切です。ヘブル人は「知る」という言葉を夫婦の交わりの隠語に使っているくらいです。そのように、頭だけの知識ではない、体得的悟りをさしています。
 
 復活信仰とは、単なるイエスの復活の承認ではない。自分で体得すべき、自分自身の死すべき体の復活経験をさします。あたかもクリスマスが、単なるベツレヘムの追認行事でなく、自分自身の心の洞窟の中における神子誕生の経験であるように。
 
 ピリピ書第三章11節「いかにもして死人の中より甦ることを得んが為なり。」――― 実に然り。今日、私の古い同窓の先輩・益田八郎さんから本を送ってきました。彼がハルピンの兵営にいた時、憲兵会報で私の受刑を知ったそうです。その文章の中で、少年時代の私がいかに弱々しく女性的なタイプであったかを書いてあります。そういう誰がみても、人生の敗残者になるしかないような、月足らぬ子のようなものを、起死回生せしめし復活の力が、私の内に働いて下さったことを、私はいくら感謝しても感謝しきれません。
 
 イエスの新参の弟子が、死んだばかりの父を葬ってから随行したいと願った時、イエスは言いました。「死にたるものをして、死にたるものを葬らしめよ。汝は我に従え!」然り。死にたるものの如き祖国、死にたる事物、死にたる人事、財宝、政治、すべて死にたる人にゆだねよう。汝、今死人の中より甦りたるものよ、汝は我に従え! 汝は我に従え!
 
 ああ、兄弟姉妹! 汝ら、死人の中より起きよ! 死にたるものは死にたる者をしてつかさどらしめよ。大洋デパートで百余人死んでもおどろく事はない。日本列島、一億人が死にかけています。その死人の中で甦る力がキリストの生命です。
 
 この「復活力」が働くと、人間は不思議な人種になるのです。パウロは「すべてを捨てた、捨てた」と言いますが、結構いざという時、ローマ市民権、パリサイ人たる事、当時の最高の教養、テント作りの職、いろいろなものを活用して用に供えました。チリ芥のように捨てて、捨てた屑箱のなかから、いろんなものを拾い上げて廃物利用するように、この人生をローマの殉教の日に至るまで用いつくした人です。
 
 そういう人の「国籍は天に在り(ピリピ三・20)」ます。常に天の時、天の国が眼前にひらけている。過去のすべてをすてて、今こそ天界におどり込め。さきにのべたキリストの復活力のみちみちた眼前一寸先の未来、そこに一歩をおどり込ませる時、栄光の生命によみがえるのです。クリスチャンの生涯は、そのような「復活の生涯」であるのです。(伯父釘宮徳太郎の最後の原稿は「復活の生涯」と称する日記体の伝道誌であった。)
 
          六

 ピリピ書第四章5節を読みましょう。
 「主は近し。」
 みなさん、みなさんにとり、果たして主は近くにいますか。ひょっとしたら主は千年さきであったり、百万億土の向こうにいたりではありませんか。主は近い。主は我が内にいまし、我はキリストの内にいる。これこそが福音ではありませんか。<終わり>
(1974.1「心に満つるより」No.4より)

 
日々新生 

一九七三年十一月十六日(金) 奇矯なる天才・乞食遊行のJ氏より来信、私に献歌として、「聖なる友ひとりあり俗にゐて菩薩行なす地の塩として」
十一月十七日(土) 「生けるキリスト」主筆今橋先生より来信、「釘宮先生と無銭徒歩伝道旅行で抱き合って泣いた、あの祈りは過去のものではありません」然り然り。日本の霊性をもって、聖書を再解読する先生の身は、世界の為に尊い。
十一月十八日(日) 日曜集会、来席六名、至って少し。世界最小の教会だろう。開会の讃美歌、祈祷、聖書朗読等一切なし。いきなり「聖書勉強」。コロサイ人への手紙第一章~第三章を重点的に学ぶ。見える天ではなく、見えない天に、キリストと共に(合金するがごとく共になる)かくれある我らのイノチについて学ぶ。
回心のない信仰は肉を入れずして牛鍋というがごとし。回心後の聖化を求めぬ人は、たれも具も入れぬ牛鍋のごとし。
十一月十九日(月) 内からなる聖霊の声に徹底的に従順であれよ。これのみが真の成長の秘訣である。
十一月二十日(火) 我が家の近所でも、チリ紙、洗剤が店頭より姿を消した由。物が豊かになろうと、政治機構がかわろうと、日本人の腹の底がかわらぬと、本当に人の住める国はできない。人間の心を一八〇度転回させる本物の伝道が必要だ。
十一月二十一日(水) ふと、この三月に頂いた富山県の中川富夫氏のお手紙を再び披く機会あり。バングラデシュに御子息を失い、その遺志をついで老骨(?)をあの炎天の地に埋めに行く覚悟の文章。一寸した石油不足、××不足で上を下への大さわぎの日本をかえりみ、恥ずかしくてたまらぬ。さあ、われら一同、「無一物無尽蔵」のキリストのふところに帰ろう。そこで真の豊かさを学ぼう。
(1974.1「心に満つるより」No.4より)
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by hioka-wahaha | 2012-07-10 16:45 | 日岡だより
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