今日はペンテコステの日です
今日はキリスト教の暦では「ペンテコステの日」にあたります。もともとは五旬節の日と呼ばれていたのですが、使徒行伝第2章にあります聖霊降臨の御業があってから、この日は特別な日になりました。言うなればキリスト教会の発生の日と言うべきでしょう。この日からキリスト教会が始まったのです。使徒行伝第2章を読みますと、 「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」とあります。続いて使徒行伝は語ります。「さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。」と言って、自分たちは「バルテヤ人、メジヤ人、エラム人だ」などと自分たちの国名上げて驚き怪しんでいます。それぞれの国語で神の大きな働きを述べている、これはどうしたことかと、驚き惑っていると、そこへペテロと他の11人の弟子たちが立ち上がって、声を上げて語り出すのです。まず、預言者ヨエルの言葉を引用します。 『神がこう仰せになる。終りの時には、 わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、 若者たちは幻を見、 老人たちは夢を見るであろう。 その時には、わたしの男女の僕たちにも わたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。 また、上では、天に奇跡を見せ、 下では、地にしるしを、 すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、 見せるであろう。 主の大いなる輝かしい日が来る前に、 日はやみに 月は血に変るであろう。 そのとき、主の名を呼び求める者は、 みな救われるであろう』。 ここでペテロは一旦声を落としたことだろうと思う。そして「主」とはどなたか。 それは、「創造者なるエホバの神様?」 ところがペテロは爆弾宣言をするのです。使徒行伝第2章36節です。言わく、 「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」と。 このペンテコステの日を、よく「キリスト教会発生の日」と呼びます。それはそうでしょうけれど、この箇所をよく拝読すると、ペテロははっきりとイエス様を父なる神によって立てられた「主、またキリスト」なのだと宣言しているのです。「救い主、イエス・キリスト様」を信じる信仰を確立宣言した日がペンテコステの日なんだと、再確認したいと思ったことです。《く》 日々新生 一九七三年十月二十一日(日) 朝早くS姉回心十四周年の記念の礼に見える。私もあの頃はいたって厳しく、仁王様のような顔をして叱りつけていたことを思い出す。今日は小雨で、静かな日曜日。いつものとおり、少数を相手の講義「人あらたに生れずば神の国を見ることあたわずとイエスは言われる。人、日毎に生れずば神の国に生きることあたわずと私は言いそえたい。日毎にキリストの肉と血を飲み食いして日々の生をたしかめよう。それが日毎のミサだ。プロテスタント流の記念式典としての聖餐式よりも、よろずの受容物をキリストの秘蹟として受け入れるミサと言ったほうが適当のように思われる。」 十月二十三日(火) K姉と同道して、I姉を訪ねる。癌再発の恐れに少しもおびえず信仰をもって堂々と生きておられるI姉に感動する。祈って辞去する。 十月二十四日(水) 江崎玲於奈博士ノーベル賞受賞のニュースあり。新聞報道による同博士の様子がいかにも日本人らしい佳さをもっているのに好感。常識に反するトンネル効果を発見したのが同博士の功績である。私ども人間性の、罪の山、悪の山、悲観の山、絶望の山、劣等感の山、――― のトンネル効果が、福音である。 十月二十五日(木) 会社、手形割引の時間かかりすぎ支払いに現金不足の気配あり、緊急にK氏の店に××万円借りる。咄嗟に多額を信用貸してくれる友情に感謝す。 十月二十六日(金) 昨日の借用金をK氏に返済に行く。同氏、肺癌を宣告され、本人も先刻承知、「天に行く日を数えています」などと枯淡な声で言う。この人の夫人を長い間信仰指導してきたわけだが、昔の私のこと故、ムチャクチャな引きずりまわすような指導と、本人の熱心さの余り、家族こそいい面の皮で(キリスト教の熱心な伝道の得手勝手ぶりは創価学会とそう違わぬ)、このK氏などは被害甚大だったと思う。今はそのイヤな思い出もすてて温顔を以て接してくれる。その死を覚悟しての落ちつきぶり、老僧牧師もかなうまい。切に、神の御手によるご回復を祈る。 (1973.12「心に満つるより」No.3より)
by hioka-wahaha
| 2012-05-29 16:08
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