No.531 イエス様の最初の奇蹟 2012.3.11

イエス様の最初の奇蹟  

 ヨハネによる福音書の第2章の始めの箇所に、イエス様の最初になされた奇蹟の記事が載っています。
 婚礼の席上でぶどう酒が無くなった。イエス様が12人もの弟子たちを連れて行ったので、しかもその弟子連中が遠慮もなくお酒をたっぷり飲んだのでしょうか。そこでイエス様のお母様のマリヤが慌てた。
「イエスよ、イエスよ。あんたの連れて来た弟子たちがお酒をたっぷり飲んじゃって、底をついちゃったわよ、なんとかしなくっちゃ」。
 そこでイエス様はなんとおっしゃったか。聖書はなんともつれないお返事をお母様のマリヤに答えている。聖書によると、
「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時はまだ来ていません」
 なんともつれないお返事ですねえ。私はこれはイエス様のユーモアなご返事なのだと思っている。「婦人よ」に始まるこの日本語の翻訳は適当ではない。こう訳すべきでしょう。
「マイ・レディ! ご心配なく、大したことじゃありませんよ」
 イエス様は軽く答えます。
「大奇蹟を行う必要はないのですよ。まだ、その時じゃないのです。簡単にすませます」
 マリヤはすぐに悟ります。僕(しもべ)たちに伝えます。
「ね、あなたがた。この人の言うことはなんでもして下さい」
 そこでイエス様は、そこに大きな石の水がめが6つあったので、僕(しもべ)たちにその水がめに水を一杯汲みいれるよう命じます。彼らはイエス様が命じられたように忠実に水を口のところまで一杯入れたと聖書は書いています。そしてイエス様は命じられました。
「さあ、これを汲んで、この会席のお世話さんに持って行きなさい」。
 僕たちは疑いもせず、その水がめの水を料理の主任さんに持って行ったと聖書には書いてあります。
 その水だったはずの飲み物をお世話さんがなめてみたら、なんとも言えない高級ぶどう酒だったので、びっくりしたのです。
「驚いた、上もんやねえ。これだけ飲んで 酔っぱらっちゃったら、もう安物を出す頃なんだが、この宴会の亭主は偉いぞねえ。これは飛びっきり旨い酒だよ」
 こうしてイエス様は多分親戚か、親しい家庭の婚礼だったのでしょうが、その席を盛んに賑わしてあげます。母マリヤもどんなにか喜んだことでしょう。
 これはイエス様が、そのご生涯で最初になさった奇蹟だと聖書に特記されています。イエス様は、その後も数々の奇蹟をなされましたが、その最初の奇蹟が病気の癒しなどでは無くて、婚礼を盛り上げるというような楽しい奇蹟なんですね。イエス様のなされた数々の奇蹟のなかでも、これは珍しいタイプの奇蹟ですね。
 私どもの教会でも、こういう楽しい奇蹟を見させてくれる結婚式や誕生会など、イエス様にお願いしたいですね。皆さん、期待して居ましょう! 今後(釘宮)。《く》


〔聖書講義〕
我が内なる「福音」  
 
 シンドバッドが「開けゴマ」と言って、岩を開いて、宝物を盗み出した。天照大神は岩から出てきて、もう一度神々に光を与えた。永遠の神の岩が切りさかれる時、巨大なエネルギーが解放され愛と生命が人類にふき込まれて、聖霊革命がおこるのです。それがキリスト教の秘儀ではありませんか。
 
 それでは、キリストの死が西欧キリスト教風に語られることは、未発達宗教心理のしからしめる伝説スタイルなのであって無意味な事だといえるでしょうか。
 そうではない。人間は「国家」とか「愛」とかいって抽象的な言葉を語る時、内に浮かぶイメージは「日の丸の旗」とか「富士山」とか或いは「母の姿」とか「キッス」とか、そういう姿や形です。人間はイメージ抜きで、心情のわかない抽象事を真剣に思うことはむつかしいのです。
 
 はじめ、ヘブル人にとって神の名はなかった。「名の無い神」という実に現代的な神が古代エジプトの下層民ヘブル人の神でした。(この雑誌を「名のない雑誌」とつけたかった話は第一号に書いた。ところが本当に東京に「名のない新聞」というのがありましたよ。おもしろいので、互いに交換しました。)姿も無く、名も無い神では困ったでしょうね。
 そこでモーセは神に願って神の名を教えて下さいと言っています。神に名ができると、それぞれの神の名のもとに各民族が仲たがいし、そして××の神が真正最高、○○の神は悪神魔神というような事になる。イエスが出てはじめて、神名返上、「父なる神」に統一してしまいました。
 
 宗教的熱情をかきたて、信心の対象をはっきり定め、信者を統治する為には、神名が必要、神像が必要、そして極彩色のドラマが必要なのです。私はこれをさして反感を以て言っているのではないのです。人間の心理限界を考えると、そういう大道具小道具がいるのだと思います。イメージなくしてはコトを考え得ない人間の感覚限界です。(モノの世界はイメージ化が容易です。コトや目にみえぬモノの世界はモデル化しないと分りにくい、伝道しにくい。)
 <つづく>
(1973.12「心に満つるより」No.3より)
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by hioka-wahaha | 2012-03-13 17:49 | 日岡だより
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