No.522 相良佐枝子姉を天に送る 2012.1.8

相良佐枝子姉を天に送る   

 相良佐枝子姉が、この1月4日午後11時過ぎに天に召されました。昨年暮れより大分の日赤病院に入院されていたので、突然と言うことは出来ないにしても、不意を打たれたような感じがして、参ってしまったのは私だけではなかろう。
 これまで、何が起ろうとも乗り越えて来た姉妹だから、病状の悪化を耳にしても、どこか安泰感で見ていた私に落ち度があったなあ、とも思った。その事に気づいて、「佐枝ちゃん、ご免よ」と今頃になって謝った。
 相良姉を「佐枝ちゃん」と呼ぶのは、私の癖である。昔からの癖だ。もう50年程になる。
 彼女が初めて私の許に来たのは昭和34年の初めの頃かなと思うのだが、その7月か、8月の頃、しょっちゅう私を訪ねてきたのだったと思う。
 彼女がキリストによる「救い」の確信を求め始めたのである。それは、当時から今に至るまで、私の主張し続けている「キリスト体験」の必要性である。
 「最早われ生くるにあらず。キリスト我が内にありて生くるなり」というガラテヤ2章20節の体験を、今、私たちも共に頂こうではないか、と言うのである。
 私はこれを「キリスト体験」と呼ぶ。この体験無しには「キリスト信仰は有り得ない」と私はいつも言っている。
 これは人間の自我意識では起り得ない。キリストの聖霊が迫って来る時に、そのことが人間の魂に起るのである。正に奇蹟である。
 私はそれを昭和19年11月23日に福岡の刑務所の独房で体験した。
 その時、ガラテヤ2章20節のお言葉が無類の力を持って我の魂の奥底、霊の深みに落ち込んだのである。その一瞬、我の魂に信仰が湧いた。私の霊魂の奥底にキリストが生きて居られる。この信仰は以後の私の生涯を貫き、今日に至っている。
 この信仰を「キリストの内住」の信仰という。私の大好きな尊敬する先生、四国の故・金田福一先生の著書に、この題名で素晴らしい本がある(キリスト教の古書店・東京神田の友愛書房で探せばあるかも知れない)。

 この信仰を相良佐枝子さんが切に求めはじめたのが、昭和34年の夏の頃であろう。私の日記を見ると、その年の9月14日に、「広瀬(同姉の旧姓)佐枝子さんの救を示される」とある。祈りの内に、彼女の救いの確信を与えられたのであろう。そして10月14日の私の日記には「佐枝子さんが救の信仰をもった」と書いてある。そして、それから7日後、「10月21日、佐枝子さん、バスにて徹底回心」と記録されている。
 その時、相良姉は職場から帰る途中だった。混雑したバスの中で、突然ガラテヤ書2章20節の御言葉に全身全霊が占領され、一度倒されキリストとともに起き上がる自分を見たと言う。すぐに私の家にやって来て、「先生、正にこれ回心です。イエス様を信じる信仰が突然湧きました。間違い無し、私はイエス様に救われました、ハレルヤ!」と。今、その時のことを思い出すだけでも感激します。《く》
 ※この相良姉の救いの証は以前にも日岡だよりに載せていますが、次回再掲したいと思います。

相良姉の葬儀  

 昨日、1月7日午前11時より、大分市山津の大分典礼MGFホールにて、相良佐枝子姉を送る葬儀が釘宮牧師の司式、永井明牧師の式進行で行われました。前夜式は1月6日午後6時からでした。
 姉妹の危篤状態の報を受けた永井明先生が高森先生とともに宮崎から駆けつけてくださったのが実に元旦の翌日のことでしたが、そのまま大分教会に滞在してくださっていました。亡くなった夜の日赤病院から、葬儀、火葬にいたるまで、釘宮牧師の高齢を心配して補佐に徹してお手伝いくださり、感謝にたえません。
 前夜式、葬儀とも、当教会の信徒のみなさんをはじめ、多くの方々が見えられ、70名の会場が満席で外にまで人があふれました。そのほとんどが組織でなく個人的なつながりと見受けられ、相良姉の、人のお世話に徹した人生を思い起こさずにはいられません。
 釘宮牧師は、その集まった多くの方々に、遠慮なく大胆にキリストの福音を説かれ、時に「佐枝ちゃん、そうだね?」と棺に向って語りかける、その姿にも感動を覚えました。
 ルデヤ会(婦人会)会長をつとめるなど、大きな働きをしてきた姉妹を失ったことは教会にとって、悲しみでもあり痛手でもありますが、姉妹の天国への凱旋を心から喜び、また、今度は天から私たちを支えてくださるだろうことを期待しつつ祈っていきたいと思います。(S)

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                〔葬儀にて:最後の祈祷〕
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by hioka-wahaha | 2012-01-10 17:01 | 日岡だより
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