No.519 一日三回、笑いましょう 2011.12.18

一日三回、笑いましょう  

 この標題「一日、三回笑いましょう」は当教会の礼拝室の背後の壁に貼ってある、お薦めというか、お励ましの言葉です。
 この言葉を貼り付けたのは、何気なく思い着くまま墨汁の筆を浸して書き付け、その場で貼ったまま、もう2、3週間にもなりますか、それからというもの、この言葉を見る度に私自身が笑いたくなって、なんとなく笑ってしまいます。そしてこの言葉を貼り付けたのは、悪いことじゃなかったなあと自分で納得して喜んでいるんです。
 そこで、こうして「一日、三回笑いましょう」と私に語りかけると、素直に私自身が忠実に従ってくれるのです。何気なく、こだわりもなく、軽く笑ってくれるんです。しかも3回! いつもそうだものですから、よくもまあ毎度よく聞いてくれるもんだと、感心するんです。これは正に人格再形成の秘訣のような感じがします。
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 しかし、たった一つ、この方法でも私自身を再形成できない残念至極なことがあります。恥ずかしいのですが。
 それは手紙やノートなどに、字を書く時です。ペンや鉛筆を握って紙の上に文字を書く時、どうしても標準的文字が書けないのです。決して上手な字でなくても良い。小学校の低学年の子供が書くような幼稚な書き文字でもよい、落ち着いて小学校一年生になった気持ちで書いてみなさいよ、と自分で自分に励まして書いてみるのですが、どうしても出来ません。相変わらずあっちこっちにはみ出したヘンチクリンな字が出来上がってしまいます。
 私の自筆の手紙を貰った人は、多分どなたも不思議がると思います。どうしていつもあんなにペラペラしゃべるのに、字を書く時だけは何故こんなにひっかかったり、出っ張ったり、チョロチョロ書いたり、一字か二字だけ、豪傑のような字を書いているかと思うと、次の字は全く気の弱そうなビクビク文字。釘宮先生はどうも性格異常者ではないかな。正常な人なら、こんな字は書かないよ、と思う人は多いだろうと思うんですよ。
 でもしょうがない。私にはこれしか出来ない。一生、下手な字を書き続けるでしょう。しかし、しゃべる時は多分いつでも明朗に正確にしゃべれる筈です。
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 ここまで書いて気が付いたことがあります。私は小学校6年生の時まで、ひどい吃音(どもり)でした。そして、その6年生の夏、ある有名な先生について吃音の矯正をしたのです。それは見事に良くなりました。今の私を見て、私が小学生時代吃っていたなんて信じる人はないでしょう。今は私のおしゃべり、ご覧の通り、ペラペラですね。しかし、かつては本当に全くひどい吃音で、国語の授業なんか、てんで朗読など一字も読めませんでした。
 そして、私は気が付いたのです。その吃りの癖が手の指に転移したのではないかと。これは私の思い違いかもしれませんし、学者はどう解釈するか分かりませんが、私はそう信じています。私の吃りの癖が手に移って、そこで手が吃りの症状を起こして、吃り文字を書いているのだということです。
 そこで私の決心、「一日三回笑いましょう」と自分に言いさえすれば、簡単に一日3回ケロリと笑えるように、字を書く時に手の吃りの癖が癒されて、素直に震えが止まります。そうです。ペンを取って、「手の震え止まれ」と命じて紙の上に字を書きました。見事、書けました。アーメン、ハレルヤ! 癒して下さいました。《く》


日々新生     

一九七三年九月二十一日(金)疲れたとき、興奮したとき、即座にすわって祈ることだ。ノボセがぐっと下って生命力がわく。
九月二十三日(日)集会、サムエルの召命の記事を通し、我が内に充満するキリストを語る。我ながらよい説教であった。
九月二十四日(月)小倉に出張、車中にて原稿(別稿「私にとっての禅」)をかく。用事をすませ、福岡に行き子供らに会う。
九月二十五日(火)遠藤周作の「死海のほとり」をよむ。弱さ、無力に徹するキリスト観は分らぬではないが、あまりにも人間的。神の世界を知らぬ人の言うことだ。才たけた子供がせのびして、恋愛論を語っているにひとしい。
九月二十六日(水)川合信水先生の文章を学ぶ。修行の大事さを思う。修行のついていかない信仰の危なっかしさを思う。
九月二十八日(金)生命の樹を想う。春日神社の四方に枝をのばした楠を想う。川合信水先生の「完全」を想う。天と地の創造に対処して、人間もまた天的に開け、且つ地的に完全を全うすべきなり。
九月三十日(日)エペソ書四章により天地に貫くキリストを語る。
十月三日(水)この世の金もうけの名人に会う。その人間性、至って面白し。
十月五日(金)珍しくTVと雑談で夜をすごす。
十月七日(日)日曜礼拝、ローマ署一・八~一七により、獅子吼す。信仰より信仰にすすむ、ダイナミックな信仰を語る。
十月九日(火)「神の独り子イエス・キリストと私は一体である、一枚である。」
 <つづく>
(1973.11「心に満つるより」No.2より)
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by hioka-wahaha | 2011-12-20 16:39 | 日岡だより
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