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No.511 主なる神は偉大なるお方 2011.10.23

[さんび]
主なる神は偉大なるお方   

  主なる神は、偉大なるお方。
  大いなる力と、伸べた腕をもって、
  天と地を造り、力ある方。
  あなたには、不可能なことは無い。
  何も不可能なことは無い。
  何一つ無い。


伝道の初期の頃   

 私が神癒の恵みについて目が開かれたのは1956年(昭和31年)、私が34歳の時であった。
 ちょうど、その頃、イムマヌエル教団での大阪聖会があり、この教団では大胆に神癒を公言していたので、私も大いに励まされていた。
 その頃、私は上欄に載せた「神には不可能なことは無い」という、やや狂信的な信仰を強行(?)中であったが、決して恐怖心が無い訳では無かった。恐怖心は充分あったのであるが、それを上廻る神様への忠誠心があった。そして「神には不可能なことは無い」という信仰が私を押し出したのである。
 私は教会の礼拝において信徒諸兄姉の前で、「信仰を持ちましょう。神様は私たちの全ての病気を癒される。皆さん、恐れないで、病気の人を連れて来なさい。私が祈って上げます。皆さんも私の祈りを助けて下さい。神様は必ず私ども祈りの答えて病人の病を癒して下さいますよ」と声高く語ったことである。
         *
 当時は、私は大分市の市街地にある住宅に住んでいた。随分古い家だったが100年ほど前、かなりの金持ちの3兄弟が建てた家だと聞いていた。三軒長屋の真中の家なのだが、長屋と言っても裏長屋の貧しい家ではない、堂々たる構えで、その3兄弟の中の長男さんが住んでいた家が、その真中の家。その両方に2人の弟たちが住んでいたという。その真中の家を、どういう経緯だったかは知らないが、私の父が買ったのだという。その家の物凄い大きな大黒柱や、2階の梁の横木の荒々しい様子などを私はうすうす記憶している。敷地も120坪はあって、裏には畑地もあり、野菜などを植えていた。
 その家の2階の広間でキリスト教の集会を開いたのであるが、道路からドアを開けて2階に直接上がれる階段を作った。後に熊本の辛島町の手島先生の集会場を訪ねたら、規模は私の方が全く小さいのだが、その道路から直接2階の集会場に上がる様子などよく似ていて、後に手島先生が来られて、これをご覧になり、「そっくりだねえ」と愉快そうに笑っておられた。なお、大したこともない私の蔵書だったが、それにも興味深くご覧になって褒めて下さったことを懐かしく思い出すのだが、さて……
 その2階の会場で、私が伝道と礼拝のための集会を始めたのが、1952年のクリスマス礼拝ではなかったかと思う。その前に鶴崎集会を閉じている。《く》


私の宗教問題   

         一

<日岡だよりNo.507よりつづき> 
 イエスはカトリックではイエズスと訳されて、その訳語の統一がむつかしいらしい。いっそのこと古めかしい侮蔑的な感じがするヤソはどうだろう。そのヤソの教!正しくその通りアーメンです。アーメン、ソーメン、ひやそうめんと、冷かされて育った私には、このアーメンがよい。この絶対肯定の言葉―――、これこそ宇宙の鍵語である。
 ヤソ教アーメン宗、こういう看板を出して、伝道をはじめたいなァ。
 
 ?以上のようなわけで、世間的には一向にキリスト教を捨てたということにならず、益々ヤソ教の牧師扱いされています。いつも「キリスト教の牧師です」と自己紹介をします。実はどこの教団の牧師免状も持たぬし、按手礼も受けていない。偽牧師です。偽牧師だけど、堂々たる偽牧師で、もぐり牧師じゃありません。逃げもかくれもしません。
 
         二

 前章の冒頭に、赤岩栄のことにふれたが、私は終戦直後の日本キリスト教団青年修養会で、同牧師の講演を聞いた。私は、自分の信仰経験から推して、我が身をつねって人の痛さを知るように、赤岩牧師の信仰体験が本物であることも分ったし、またある程度の処で主知的神学にとどまり、表現上手な話しぶりで自分で自分に参ってしまっているなと思った。
 しかし、ともかくこの人のおかげで、私は「共産主義」に対する誤解より解放された。以後、思想的には左、信仰的には保守派という私が出来上がる。保守派のくせに、聖書解釈については八木誠一や田川建一がお気に入りという、教界から見れば不可思議な人間が出来上がる。なに、不思議な事も何もあるものか。私はただ「真実」を求めるのみなのである。
      ×   ×
 私が「真実」という時、私は何か目に見えぬものが、目に見えるまでに至る寸前の、その何ものかを想う。たとえば「場」、たとえば、この「私」。「私」をそっとのけてみると、そこに私の「場」がある。この場がなければ私はない。この場は見えないけれども、また「仮想の眼」をもって見ると、場は見える。私がひょいとのいてみる。そこに私はあった。その場がなければ私はいなかった。同様に、私の場がなければ私は生まれ得なかった。万物しかり、その「場」がなければ「物」は生じない。この「場」こそ真実だ。<つづく>
(1973.11「心に満つるより」No.2より) 
by hioka-wahaha | 2011-10-25 12:30 | 日岡だより
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