No.502 奇跡が起きるのが宗教 2011.8.21

奇跡が起きるのが宗教    

 昨日、鳥栖のクロスロード・ゴスペルチャーチ(金本友孝牧師)で行われた「今、起きる奇跡」聖会に参加させて頂きました。
 講師はタンザニア・キリスト栄光教会のジョセファット・ガジマ牧師でした。アフリカの現地では死んだ人をも生き返らせたという報告のDVDを以前に見せていただいたことがあるので、非常に興味があったのです。
 私が参加した2回の集会の中では「死んだ人が生き返った」という内容に直接ふれることはなかったのですが(私の耳が遠いので聞き逃していましたらご容赦を)、
 しかし、その事実に裏打ちされた大胆で簡潔なメッセージと、それに呼応する熱気ある会衆、そして癒しと奇跡の現場に居合わせたことは非常に感謝でした。
 クロスロード・ゴスペルチャーチは定員オーバーの身動きのとれないほどの満員状態でしたが、立ち上がった人々の間を縫い、椅子の上を渡り歩いて全員に按手祈祷をされたのには驚きでした。
 ともあれ、私たちも「死んで生き返る」奇跡体験をする必要があります。(釘宮)


私にとっての禅   

        (二)
 
 <日岡だよりNo.499よりのつづき>
 前述の応真和尚の故事だが、「主人公!」と呼ぶ言葉が、近代小説の「主人公」などというように使われる言葉だもので、何となく手軽に考えられているむきがある。
 しかし、よく考えると(私は古典中国語の知識がないので自信はないが)、「―――公」とは多分に大げさな尊称であると思う。今風に翻訳すればどうなろう。多分「ご主人様!」だ。キリスト教風に言えば端的に「主よ!」「主様!」「御主よ!」。
 
  もし私たちが、わが内なるものに声をかけて
 「主よ!」
と呼ぶ時、内より
 「おう」
と答えるものは誰であろう。それは我らの内なるキリストである。

 「もはや我生きるにあらず、キリスト我が内に生きるなり」とパウロが告白せざるを得ない時、彼の内なるキリストがあまりに確実で且つ充実しきっているので、そう賛美せざるを得ないのだ。キリストとは他人事ではないので(私以上の)私の事なのだ。
 「もはや我生きるにあらず、キリスト我が内において生きるなり」という時、何だか私の心の中に小さくこじんまりとキリストが生きなさっている様子を想像する人が多くはないか。そしてこの私を殺さねばならぬ、この私を殺さねばならぬとこの聖句を律法的に聞いているのだ。
 そうではない。風船に水素がはち切れんばかりに充満する時、風船は自分の重みを失って水素のままの性質上、空に昇ってしまう。風船に水銀をつめてしまうと、今度は風船の性質を失い、水に沈んでしまう。同様に私の内にキリストが充満する時、私は死にキリストが生きる。私がわざわざ死ぬ必要はない。
 宗教や信仰の世界で、自分で死のう、自分で死のう、と力めば力むほど、自分が死ぬどころか「死にたい我」が生きてしまうという心の泣きどころを、少しでも本気で修養したことのある人は知っている筈である。
 
 パウロ文書を読むと、この内的キリストを、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、五十人の弟子たち等に現れた復活のキリストと同一視していたことが分る。さて、復活のキリストとは、そも何もの、肉体をもって復活したというイエスについて、あのイエスにあったキリストのリアリティが弟子たちに再び再現したということだ、というように八木氏は言っているが、これは正しいと思う。
 「我は在りて在るものなり」と言った神の実在が、イエスの内に「みちみちてあった」、その故にイエスは神の御徳をあますところなく表されたと言われる。その故にこそ、イエスは神の独り子と言われる。「独り」とは何も数の上の「一」ではなく、神の性質を全く表現しきっているということだ。太平洋の水をコップに一杯入れた時、このコップは太平洋のモデルだ。海は大きくこれは小さいが、しかし寸分もちがわぬ太平洋の水である。
 神の実在に充満されたものは神の独り子と呼ばれる。そしてその神の実在を同じように我が内にみたされたものはそこにキリストの復活をみる。正しく肉体をもって復活しているキリストを見る。私の肉体において、自己表現されているキリストの実在を。
 
 ヘブル書で、「イエス・キリストは昨日も今日もいつまでもかわらない」という言葉がある。この箇所を原典でよむと
 「イエス・キリストは昨日も今日も世々にわたり同一の方である」
と読める。同一とは、「似ている」とか「等しい」とかでなく、全く同一のもの、かけがえのない唯一のものをさす。
 だから、創造の日のロゴスであるキリストも、アブラハムにあらわれたキリストも、ナザレのイエス・キリストも、マグダラのマリヤやペテロに現れた復活のキリストも、パウロの内に生きているキリストも、ただ一人の同一の主なのである。
 <つづく>
(1973.11「心に満つるより」No.2より)
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by hioka-wahaha | 2011-08-23 11:07 | 日岡だより
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