No.495 始祖の罪の責任が全人類に及ぶ悲劇 2011.7.3

始祖の罪の責任が全人類に及ぶ悲劇   

 
「ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである」
   (ローマ人への手紙5:12)

  
 これはパウロの至って冷静な文章に見えるが、実は激情的な宣告である。私は青年期、この聖書の個所を読んだ時、心臓がえぐられるようなショックを受けた。
 「すべての人が罪を犯した」!
 そうだ、今生まれたばかりの赤ん坊も、この宣告を受ける。人は生れながらに罪人なのだ。
 双子の赤ちゃんが生まれた時、2人の赤ちゃんが同じにお母さんの乳房に取り付くことがある。乳房は2つあるから良いようなものだが、両方の乳房に取り付いた赤ちゃんが、無心に喜んでお乳を飲んでくれればよいが、時には一方の赤ちゃんが隣の赤ちゃんをお母さんの乳房から払い除けようとすることがあるそうだ。私はそのような様子を見たことは無いので、事実かどうか知らないが、ありそうなことに思えて、「うーん」と考えこんだことがある。
 人間は生れながらにして利己主義者、排他主義者か、と「うーん」とうなったのである。
 終戦後、間もなくのことであったが、東京駅か、上野駅か、プラットホームで入ってくる列車を待っていると、独りの女性が体がくずれてレールの脇にころげ落ちた。「あっ」と思う間もなく、一人の青年が飛び降りてその女性をホームに抱え上げてあげた。そこへ列車がやってきた。青年は一瞬、車輪の下に倒れた。
 その新聞記事に私は泣いた。そして、そのような現場に、もし私がいたら同じような行動を取り得るだろうか。私は自分で自分にその自信がなかった。私は自分の頭や胸を打ち叩いた。情けなかった。神様の言葉に仕え、伝道している身がなんという情けない覚悟の無さか。
 生れながらの私の身に、罪の心が染み込んでいる。潜在意識として罪の思い、利己保身の思いが私の心深くにどっかりと座り込んでいる。この無惨な自覚が私の心を捉えて放さなかった。《く》


第一回鶴崎集会のこと(上)   

 私が今、仕えさせて頂いているキリストの福音大分教会の基礎は鶴崎集会に始まっていると思う。それまでも小さい集会を開いていなかった訳ではなかったが、1949年(昭和24年)10月9日に第一回集会を開いた大分県鶴崎市西町、林正貴兄宅における鶴崎集会こそ、現キリストの福音大分教会の基礎であったと思えるのである。
 私は当時、その大分県鶴崎市にあった大分県立鶴崎高等学校の事務職員をしていたのである。残念ながら教職の資格を持っていなかったから事務職員に取り付いたのであるが、職はなんでもよかった。この鶴崎という町にある職にありつけさえすれば良かったのである。
 今も覚えているが、その鶴崎市の中心の四つ角にあった電柱に「この町でキリスト教の伝道をはじめます」と書いて私の氏名をいれたB4の用紙を貼り付けたのである。
 私としては、この小さな宣伝文を読んでくれる人は、そんなに多くはあるまいと思ったけれど、この町と書いたのは書いたが、れっきとした鶴崎市である(後に大分市に合併される)、昔は大分市よりも繁栄した別府湾唯一の貿易港であった由緒ある鶴崎港の町だ。
 実は、その日、私は「鶴崎に行け」という神様のお声を聞いたのだ。私はそれまでこの鶴崎という町には殆ど行ったことがなかったのだが、神様のお声だもの、私は直ぐに自転車に乗ってこの町に出かけたのだ。(距離は大分市から直線距離10キロ、昔の人は3里と言っていたが、歩いて行くのは大変、自転車でどうにか行けるのである。)
 そして用意した宣伝ビラを電柱に貼りはしたものの、「さてどうしよう」と考え込んだ時、この町にある県立高等学校の校長さんが私の親しいクリスチャンの姉妹の兄さんであったことに気がついた。私は、早速その高等学校に行って校長さんを訪ねた。そして「この町で伝道したいんです。お宅の学校のPTAの役員さんなどにご紹介下さいませんか。お会いしてよろしく頼みたいのです」とお願いしたことである。
 ところで、その翌日から3日間、鹿児島の霧島山の麓にある国民宿舎で、九州キリスト教会青年会の合同聖会があったのである。《く》
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by hioka-wahaha | 2011-07-05 16:46 | 日岡だより
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