No.494 初めに神は天と地とを創造された 2011.6.26

初めに神は天と地とを創造された

 聖書は旧約聖書と新約聖書とを合わせて、約2千頁近くになりますが、その冒頭の第一句が今回の標題にしました「初めに神は天と地とを創造された」というお言葉であります。
 ここには聖書の宗教を語る5つの特徴ある語彙が表されます。並べて書きますと、
  一、初めに、
  二、神は、
  三、天と、
  四、地とを、
  五、創造された
であります。

 第一の「初めに」は、古い訳の聖書では「元始に」と訳して「はじめに」と仮名をふってあります。明治の先生がたの苦心の翻訳と言えましょう。
 つまり天も地もまだ出来ていない、この大宇宙が出来ていない時、この銀河系宇宙や、その他の諸宇宙もまだ出来ていない時、神様はまず天という大空間をお作りになり、そこに多くの無数の星や、我々のこの地球もお作りになったのですね。これは、想像するだけで目もくらみそうな天地創造の聖書の記事です。
 こんな記事は本来の人間には本当は到底書けません。しかし、神様から教えて頂いて聖書の記者はやっと書くことが出来たのです。
 聖書のすばらしさは、ここにあります。人間の知恵では本来、到底書けないことです。それが聖書です。聖書の本来の記者は聖霊様です。聖霊様に手を取ってもらって、聖書記者は聖書を書けたのです。こうして、聖書がここまで書いてくれますと、人間もどうにか真似をして、宇宙創造物語を書き綴ることもできるのです。

 第二は「神」ですが、こうして文字に上げるのも不謹慎な感じがして申し訳ないと思います。「初めに神は……」の語句の中では、主語が「神」ですが、正に神こそ凡ての言葉の中で主語です。
 日本人は多神教でして、神という言葉は本来複数でしたでしょうが、その日本人も明治、大正、昭和とキリスト教が浸透して来て以来、神と言う言葉を一神教的に思考する人は増えてきていると思います。
 現代の日本人が、「神様にお願いしているんだ」などという時、心に描く神様は複数の神でしょうか。単数の神でしょうか。昔の人と違って、今の人は「神様」と言うとき、ただ独りの神様、キリスト教的な神様を意志する人も多いのではないでしょうか。

 第三は「天」ですが、天は万物を蓋い尽くすものです。又、太陽と月と星を保ち、つねに人を覚え、守り、支配している、特に万人に対して平等に慈しむ力や姿をあらわに示します。神様が天を作り地を作られるのは、その神様の人類を支配し愛する力の象徴として天は格別な神様の御心を表す神の第一の創造物です。天は人にとり「空」でもあるけれど、何よりも天は宇宙そのもの、人類を蓋う、愛と力の表象です。人は寂しい時、辛い時、思わず天を見上げるのです。

 第四が地ですが、正に地は大いなる母です。幼子が母にかじりつくように、人類は食物を地から得、死ぬる時、地に帰ります。また、謙虚そのものに平伏する時、地に伏すのです。人は失敗と敗北を喫する時、母なる神のふところにむしゃぶりつく時、大いなる慰めと、回復の力と、命の水の源なる乳房の吸いつくすほかにないのです。

 第五は神は創造の神だと言うことです。創造とは何も無い所から、良きものを豊潤に生み出す力ある方。絶望しきった死人の如き敗北者を復活させ、立たせ、飛び上がらせ、走り出させ、価値あるものをドンドン生産させる方です。
 落魄より回復、再生、勝利。無より有を得しめ給う方、死より復活。これがキリストの福音、あなたも私も、勝利の祝杯を浴びよ。ハレルヤ! アーメン!(釘)


 
私にとっての禅  
         
         (一)
         
(先週よりのつづき)
 私は青年時代より(神学が好きであったにもかかわらず)、神学や教理をとびこえて体験的独習的求道生活を送り、「回心」や「神秘体験」をへてきたおかげで(そしてしかも最近一〇年いわゆる神秘学にヘキエキしてできるだけ自然、素朴、合理的信仰に生きようとしていたのが更によかったと思う)、禅的世界にはいり込むのは他の人にくらべ、割合にやさしかったのではないかと思う。つまり、今の私は「悟りたい、悟りたい」とサトリ欲にとらわれて猫が餌をねらうように虎視眈々、息をつめてねらっている―――そんな感じの坐禅でなく、相当おちついて只管打坐ができるのである。毎朝、毎晩、三十分か一時間何の利益も求めずただすわるだけ、その妙味が少しずつ分りかけてきているのである。(つづく)
(1973.11「心に満つるより」No.2より)
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by hioka-wahaha | 2011-06-28 15:39 | 日岡だより
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