No.491 もろもろの人よ、手をあげ御名を呼ぼう 2011.6.5

もろもろの人よ、手をあげ御名を呼ぼう

 詩篇第63篇を読みましょう。その第一節、
「神よ、あなたは私の神、
 私は切にあなたをたずね求め、
 わが魂はあなたをかわき望む」
 表題に「ユダの野にあったときによんだダビデの歌」とあります。
 ダビデはイスラエルの王でしたが、その三男アブシャロムの反逆を受け、城を去って、ユダの野に逃れたわけです。世は戦国時代です。親子の仲でも、この始末です。信じられるものは何一つ無い、そういう時代です。
 ダビデはどちらかと言うと、欠点の少ない人間です、それに人から愛され、人望もあります。滅多に人から背かれることはないと思われるのですが、それがなんと実の子から背かれる。人生、空しいなあと思わざるを得ません。
 ダビデは述懐します。「水なき、かわき衰えた地にあるように、わが肉体はあなたを慕いこがれる。」
 水一滴を慕いこがれる肉体にも似て、私の魂は神様を想い、恋こがれているというのです。神様を思う心は食に飢えて水に乾く肉体のように全身で悶え苦しむのです。
 4節に「わたしは生きながらえる間、あなたをほめ」と聖書にありますが、私は「生きながらえる間」と言うより、「命の限り」と訳してみたいと思う。そして「手をあげる」とは、水に溺れそうになっている人が「命の限り」と叫んで救を求める必死に伸ばしている手なんだと想像するのです。正に命がけの「手をあげている」姿です。そして声も枯れて叫んでいる憐れな男の姿が目に浮かびます。
 ここで重大な変化がこの男に起こります。あれほどに命も限りに叫び、手をあげ御名を呼んでいた男が(正に、絶望的だったでしょう)、今更のように「床の上であなた(神)を思いだし、夜のふけるままに深く思う時」が来たということ、これは何でしょう。
 信仰の過程の中で、「絶望の時」、その一瞬が来るということは主の恵みです。人間は真実の絶望を持ち得ない、罪の縄目をしっかり握って離し得ない、欲深い存在です。この罪と欲から到底離れることの出来ないサタンの捉われ人が遂に絶望の極地に立って、サタンから離れて主の福音の領土に立つ一瞬、絶望は歓喜の希望の峠に立つのです。
 「最早われ生くるにあらず」(ガラテヤ2:20)という窮地に立つ時、一瞬逆転して、「キリスト我が内に在りて生くるなり」(ガラテヤ2:20)という人生最高の基盤に立つことができるのである。この幸いをなんと表現したものか、あらゆる言葉を絶する。
         *
 この辺りのクリスチャンの最大の至福の転換期は、聖霊様のご干渉によって起こる。多くは「義認の信仰」であるけれど、もっと極端な事件が起こる。例えば使徒行伝第9章1節~2節に出て来るサウロ(後のパウロ)の回心事件である。
 私はこの尊い経験を昭和19年11月23日に頂いた。このことは何度もこうした紙上や公開の場で話させて頂くけれども、幾ら話しても飽くことはない。そうして正確に包み隠さず語ることは、どうしても不可能である。あらましを語るに過ぎない。しかし、それにしても、それを語らせて頂くことは何という幸せなことであろう。
 使徒行伝第9章1~9節のパウロの体験は、コリント第一の手紙15:8のように何度でも記されている。パウロは各教会や、その他の場所で自分のキリスト体験を詳しく語ったに相違ないと思われる。
 この「キリスト体験」という言葉を注意してほしい。キリスト信仰とは「キリスト体験」のことである、と言い切っても差し支えないと思う。
 諸兄姉の魂の内存に「キリスト体験」が確立されているか、どうか。それが曖昧でないことを期待します。しっかりとご自分で確認して下さい。それが曖昧だったと、そのことを今確認されるなれば、そのことを感謝しましょう。あなたの信仰を確立する機会が来たのです。《く》


智恵について   

 サタンの智恵は狡さから生まれる。神の智恵は愛から生まれる。
 愚かさは、熱きにもあらず、冷たきにもあらず、無感動の人の心である。
 記憶力や推理力は脳の生理的強弱によってきまるが、智恵は一種の洞察力であって、脳の力のいかんにかかわらず、それをうまく利用し、足らぬは足らぬ儘に、かしこい智恵をしめす。少年イエスが学者をおどろかした賢さはそういう智恵である。百卒長や異邦人の女の智恵もそうである。
 この世では、おろかな人よりは、サタン的智恵をもった人の方が、使い道があってほめられることがある。不義なる支配人がそれだ。そういう狡い智恵は族長ヤコブや、使徒パウロにも見られる。手島郁郎先生にもそれが見られた。
 聖ならざる智恵であるが、一時的難関を突破するにふさわしい。いずれ更に大きい神の手に操られるのである。矢張りなまぬるき愚かさよりは良いようである。  (1972.7.14「大分通信」より)
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by hioka-wahaha | 2011-06-07 14:45 | 日岡だより
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