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No.490 その名は主、そのみ前に喜び踊れ 2011.5.29

その名は主、そのみ前に喜び踊れ  

 「その名は主、そのみ前に喜び踊れ」
 詩篇68篇4節下のみ言葉です。
 このみ言葉のすぐ前の冒頭の1節、2節を拝読すると、「神よ、立ち上がって、その敵を散らし(中略)、悪しき者を神の前に滅ぼしてください」とあります。
 私たちの人生で困難な時というか、悲境ともいうべき時が訪れる時がありましょう。そうした状況下に置かれた時、私たちの祈るべき好見本が以上の聖句です。
 もしあなたが悲運、逆境の中におられるとしたら、この祈りを口にして下さい。少し言葉を変えました。
 「神よ、立ち上がって、この敵を散らし(中略)、この悪しき者を神の前に滅ぼしてください」
          *
 実は先日、小生、大いに憂欝な時がありました。主日礼拝の説教準備をしようにも、心が不安定で落ち着きません。こういう時、牧師は有り難いですね、すぐ側に教会の会堂がありますから。私はすぐ教会に行きます。そして誰はばからず大きな声で、
 「神よ、立ち上がって、この敵を散らし(中略)、この悪しき者を神の前に滅ぼしてください」
 と、このみ言葉を叫びました。20遍ほど叫びました。こうして私の心を暗くし、憂欝にさせ、説教準備を阻害しているサタンに向かって反撃したのです。
 そうして、私の流儀はその後で、「ワッハッハッハ、ワッハッハッハ」と呵々大笑するのです。口を大きく開けて、手足を振って、小踊りしながら、「ハレルヤー、バンザーイ」と連呼するのです。
 こうすると憂欝な消極的気分は一掃されています。私はそして、床(ゆか)にひれ伏して神様に感謝します。
 皆さんがよく喜んで下さる私の小冊子に「笑えば必ず幸福になる」というのがありますが、みなさんも、このようにして愉快な、大胆な、周囲の人をも笑いに巻き込むような陽気満々の人になってください。
 こうして愉快な気分になると、脳の生理に非常に良い影響を与えることは、医学的に立証済みです。論理を企てる時、奇抜なヒントを見つけ出してくれるのは、こうした時です。
 特に小さい会議で談論風発している時、出席者が軒並に良い提案を出してくれて、司会者は有頂天になることがありますが、そうした委員会を持てるようになると、会社や団体や組合など、生き生きした集団になって来ますね。
 私ども教会も、婦人会や、それぞれの諸会合、仲良く、元気の良い、運営、活動をして下さるよう、期待しています。《く》


信仰生活の鍵  
  
 信仰生活を実りあらしめるには、祈って心に期したことは、火が降っても矢が降っても後ずさりしないという不屈の態度がいる。そういう態度を英雄的百%の堅持に要求するのは、我々凡人には無理なことだ。
 しかし、それをまっとうに覚悟して立ち向かうとき、あまりに気弱で怠惰で飽きっぽくてダメなおのれ自身が丸見えになる。その故に、みだりに安易な祈祷はできにくくなるし、且つ祈ったことはあくまで神との約束ごととして、為すべきは果たし、待つべきは待つという気合の入った信仰生活になる。そういう信仰生活がきびきびした、そして神の応験をいちじるしく体得する人生の鍵なのである。(1972.7.14「大分通信」より)

         
二つの切り抜き  

 今日、新聞をみて二つの切り抜きを得た(一九七二・七・四)。その一つは、朝日の夕刊で「標的」欄に紹介されていたある雑誌の文章、いわく
『「スパイや裏切りを完全に締め出す方法などそもそもあり得ないというのが僕の考えだ。そうである以上、それらが意味を持たなくなってしまうような新しい組織の組み方、新しい活動のスタイルを創り出すより他に、この問題を根本的に解決する方法はありえないだろう。そうしなかったら〈革命的警戒心〉が万人に対する万人のスパイ状態を生み出してしまうことは、ほとんど論理的必然なのだ」(「安保拒否二人委員会の通信」四号)』
 かつて、ガンジーが反英運動のプログラムをすべて事前に英国側の官憲に告げ、しかもその通りに実行した。その故に、当時のインド総督府は秘密警察を必要とせずガンジー側の通告を受け入れるだけで情報入手は事足りたと言われる。この開明な活動方式には、驚嘆せざるを得ない。革命的運動方式の真の人間らしい型を模索すると、現代でもガンジー方式に行かざるを得ないであろう。その事を前掲のキリヌキは考えさせる。
 二つめの切り抜きは、毎日の夕刊で
『インドの中北部の荒野、山峡を馬やラクダ、時にはジープで駆け抜ける“ダコイツ”(義賊団)が“ガンジー主義”に共鳴して帰順した。アラビアン・ナイトの盗賊を地で行くダコイツの歴史は古い。ムガール王朝時代からともいわれ、英植民地時代はもちろん、独立後もさして衰えを見せなかった。権力と腐敗に立ち向かうのが彼らの使命だったからだ。一九五〇年代、民衆からロビンフッドと親しまれたマン・シンやその右腕のラカンと美人の妻プトリはやがて討伐隊との銃撃戦で殺されたが、六〇年代半ばごろからはムラト・シンのもとに再編成され、三州にかけての勢力は四百人以上とも言われた。腐敗地主や権力をくじくため人殺しなども朝飯前だが、奪った金品は必ず貧しい民衆に分かち与えた。そのダコイツの巣窟へ「正義は暴力からは生まれない」と、単身で乗り込んだのが故マハトマ・ガンジーの使徒ビノバ・ベハーブ氏(七二)で、今から十二年前。』
 ガンジーの捨て身の「愛」は今もインドで生きている。これは、涙のこぼれるような嬉しいニュースではないか。
 クリスチャンの凡て、真理に目ざめた人の凡てが、かく捨て身の愛に生くれば、地球上に必ず平和と幸福とは来る。(1972.7.14「大分通信」より)
by hioka-wahaha | 2011-05-31 13:56 | 日岡だより
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