No.477 二・二六事件を知っていますか? 2011.2.27

二・二六事件を知っていますか? 

 昨日が2月26日だった。私は、この日を迎えると自然に二・二六事件を思い出す。昭和11年2月26日、一部の青年将校たちが1400人余の兵卒を引き連れて、当時の総理大臣や内大臣、大蔵大臣等を襲って、これを殺害した事件である。
 総理大臣の岡田さんは何かのいきさつがあって、命を取り止めたが、当時名物の大蔵大臣高橋是清さんを始め、内大臣、教育総監等、重要人物が殺害された。
 しかも、当時の極端な愛国主義者たちの結社はこれを称賛気味であったので、一般市民の反応もこの青年将校たちの率いるテロ集団を受容する傾向が強かった。後に大分県でもこの強行集団の一人だった人物がいて、たしか大野郡の人だったが帰郷したら、大歓迎されたという事実もあった。
 彼らは法律違反なので、後日の裁判で刑を受けて入獄することになるのだが、屡々、そういう人たちは本当は真の愛国者である、彼らは信念のための犠牲者となった人たちだということで、刑期を終わって故郷に帰ると周辺の人たちから尊敬されるということが多かった。
          *
 ともあれ、これは当時日本全土に衝動を与えた事件だった。ところで、私の伯父釘宮徳太郎が、その翌日2月27日に召天した。急性肺炎だった。
 そこで、東京に在住していた伯父の信仰上の友人たちは、身近な東京に於ける陸軍将校たちの反乱事件に不安に怯えながら、大分にもこれと同じようなテロ事件が起こって、とかく非戦論などで急先鋒の意見を挙げる釘宮さんだ、彼らに襲われて殺されたのではないかというう心配が起こったそうだ。そのことを後で聞いたことです。
 私なども翌日、伯父の葬儀に出ると、当時大分市で弁護士をしていた加藤さんという信徒の方が居られて、職業柄東京方面から入る世界情報を含めての戦争の足音を語ってくれた。その時の私などが、戦争の情報に怯えた恐怖心は今の人に語っても分かって貰えないでしょう。
 私が後に非戦主義者になって、刑務所に入れられてしまう元の起こりは、その辺りから始まるのですね。この伯父の釘宮徳太郎という人は、商売人としても、政治的な感覚においても、九州の一角に置いておくには勿体無いような人でしたから、私は非常な影響を受けました。
 また、私の父が死んでから、母と私の二人っきりの母子家庭を、愛においても財力援助においても、抜かりなく守ってくれたのも、この伯父でした。(母は父が残してくれた資産の管理を、この伯父に全面的に委ねていました)。
 この伯父が二・二六事件の翌日に天に召されたということにも、何か不思議な神様の御手を覚えます。私は、まだその当時、満14歳です。信仰のことなど、一向に分かっていません。
 ともあれ、二・二六事件は日本という国が戦争禍のまっ只中に落ち込んで行く契機になったような気がします。この時から、日本皇国主義がはびこります。一種の神秘主義と言ってもいいような独断主義で、日本を大東亜の主権国に持ち上げようと吠えまくるような意見が飛び交う時代になって行くのです。
 いわば気違いじみた時代ですが。そのことが、その渦中にいる国民たちには分かりません。それに反対は勿論、ちょっとした異見を述べるだけでも非国民扱いです。
 「もの言えば、くちびる寒し、秋の風」という川柳がありましたが、物を言うのにもよほど用心が必要、そういう時代です。
          *
 昨日、大分市のコンパルホールの図書館に行って、当日の新聞を調べました。よくあります、「今日はこうしたことのあった日」というような記事が、二・二六事件について、新聞に載っていないか。
 そこにある全部の新聞、日本の中央紙、また大分の地元紙の全部を調べましたが、「今日は昔、二・二六事件のあった日」という記事は、一つもありませんでした。
 日本のジャーナリズムは二・二六事件を忘れようとしているのだと、思いました。私の見落としではないか。たった一紙でも二・二六事件に触れた新聞はなかったのか、愁いに満ちた感覚を抱きながら、その図書館を去ったのでありました。《く》
 
 
音読のすすめ 

 聖書を毎日音読するとよい。口語訳聖書が案外よい。文語訳は名訳だし、朗誦すると荘重で気分はよいが、生活感情に密着するという点で、口語訳に劣る。口語訳(新改訳が更によい)を毎日音読していると、急速に「御ことば」が生活の中に浸透するような、親しみぶかい感動がある。(1972.6.24「大分通信」より)
 (「こうすれば信仰がわかる」に収録)

斧は早や根におかれている 

 一九七二・六・一九午後九時三十分、日豊線「ゆのか」にてこれを書いています。今となりの座席の人の新聞を借りて拾い読みしました。
 「日航機、キャセイ航空につづくイギリスの航空機事故―――一一八人死亡」
 「北半球気象異変?」
 というような記事に、心は何ものかに扉を叩かれているような思いがします。
 「これらの兆のおこるを見れば、汝ら時の近きを知れ」
 とイエスの言った、その人類終末の時がそこに来ているのではないでしょうか。
 「斧は早や根におかれている。汝らいかにしてこの裁きより逃れんとするか」
 と洗礼者ヨハネは言った。まさしく今、人類の歴史の根に、裁きの斧が置かれているかにに見えます。恐ろしい終末的時代です。(1972.6.24「大分通信」より)
 (「こうすれば信仰がわかる」に収録)
[PR]
by hioka-wahaha | 2011-03-01 14:12 | 日岡だより
<< No.478 「空腹療法」って... No.476 トミさん、召天一... >>