No.457 イエス様も泣かれたのです! 2010.10.10

イエス様も泣かれたのです!

 幕末の頃、熊本でのことだが、天下国家を思う勤皇の同志たちが集まると、「おい、泣こうじゃないか」と言って、武者震いして、一様に声を上げて泣いたらしい。もっこす者の肥後人の生態である。
 幕屋の創始者、手島先生が聖書の講解をしている時、罪ある女にイエス様が声をかけなさる場面など、先生の声が震えてきて遂に涙を流して泣かれることがあった。だからと言って、私は、「やっぱり、手島先生も熊本の人なんだなあ」と言うのでは、勿論ない。「やっぱり、先生だなあ」と思うのです。手島先生という方は、気持ちが純粋で、感情を正直に表現される。
 イエス様も泣かれた。マルタ、マリヤの弟ラザロが死んだ時のイエス様の言動は本当に不思議である。
 はじめ、ラザロの病気の知らせをお聞きになった時、早くもラザロの死ぬべきことを弟子たちに語って居られる。しかも、マルタに向かって「彼は生きるのだ」と宣言なさるのである。これほどにラザロの復活を信じられながら、ラザロの墓に近づかれると、イエス様は「激しく感動し、心を騒がされ、又涙を流された」、などと聖書にあります。
 イエス様はラザロの死体をご自身が生き返らせられることを事前に予告し確認されながら、なおも墓前にくると涙を流して泣かれる。こうしたイエス様の感情の動きは、私たち尋常の者にはさっぱり理解できません。
 イエス様は人と違い、神様です。すばらしい予知能力、生命回復力をお持ちです。しかもその時々で、全く人間同様の不安や心配や恐れまでも感じるらしいことに、私は驚くのです。
 これは私の解釈ですが、イエス様は墓の側に来られると、死んでいるラザロの陰府での恐怖も、側にいるマルタ、マリヤたちの弟ラザロの死への悲しみも、すべてを感情移入されるかの如く、悲しみ悩まれるのではないでしょうか。死んでいるラザロの心中の恐怖心、寂寥感も、感じ取って、可哀そうに思って居られるのかも知れません。
 これは、2千年前のユダヤにおける話ではなく、現在の私たちの周辺で起こる話なんだと心得てみましょう。
 マルタ、マリヤや、ラザロの側近くにイエス様が来て下さったように、今も私たちの側に来て下さるイエス様、このイエス様に私たちも触れることが出来る。そして、死でさえも、その他あらゆる人生問題のさなかに側に寄って下さり、私たちの身近に寄り添って下さって慰め助けて下さるイエス様を期待しようでありませんか。《く》
 
 
(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

いのちの初夜(9)

 このように、人の言葉(ありていに言えば日本語の一つですからね)を神の言葉となさしめる、つまり人にこのように感動せしめる力が聖霊である。この聖霊に感じた言葉(思想)をうけて一瞬のうちに魂の方向がひっくりかえり回心する時、私はそれを本当のキリスト教的新生と呼ぶのである。
 
          四
 
 インドの聖クリスト者サンダーシングは、「今宵神を見ざれば朝の一番列車で死のう」と決心して、一夜祈りはじめた。その時、彼はキリスト教を邪教と思いヒンズー教の神に会うことを願っていたのである。その夜、活けるキリストはサンダーシングにあらわれた。それは、幻のキリストでなく、本当に肉体を持ったキリストであったと彼は言っている。
 私の福岡刑務所における回心は、それほどの驚異的神秘体験ではなかったけれども、一人の人間の生涯を改変させる宗教体験としては、同質のものであったと確信する。私はその時より、自分の信仰の質が(量や重さではないが)パウロやヨハネなどと同じであるという不遜な程の自信を持ってきた。
 刑務所の中で、私は昨日と同じように赤着物を着て、寒さにこごえ、すきっ腹であった。しかし、うすいフトンの中で目ざめた時、私の肉体の中を貫流する血液が、まぎれもなくイエスの血であるような感情にとらわれ、そのドクドクと流れるイエスの血の音が聞こえるようで、感動の涙が目にあふれた。あつい、あつい涙であった。
  エス君のあつき血潮の今もなお
  溢るる思い我が身にぞすれ
と歌ったのはその時である。この歌は一瞬に生まれた。
 その時より、自然も社会もこれまでと違った様相を見せてくれはじめる。矛盾をガッチリ受けとめて、矛盾のまま飲み込みできるような性質に生れ変わっている自分を感じる。他を赦すということが実感として分かりはじめる。
  あるものの胸にやどりしその日より
  輝きわたる天地の色
 これは内村鑑三の歌であるが、その間の消息をよく伝えている。
 私の刑期は昭和二十年一月二十一日に終わる。あのけわしい戦時のさなかに「非国民」が故郷に帰るのは容易なことではない。母や親族のものは、家を売ってどこか遠方に移転しないかと言った。しかし、私は四面楚歌のつめたい環境にスルリと帰って行く自信があった。非国民を身内から出したと言って憤慨していた有力な親族が、出所早々挨拶に行った私を一回見るや、急変して職を世話してくれたりした。見事な人生の転換があった。私は誰にも恥じず、逃げ隠れもせず、かといって居丈高に反撥することもなかった。
 最近の週刊朝日に連載されている松本清張の小説では、こういう時こういう人間に対しては軍は「ハンドウ」をまわして、すぐにでも召集を出しそうであるが、私にはその召集は遂に終戦の時まで来なかった。起訴や服役の時の事務処理で、私の召集名簿がどこかに紛れ込んでしまったのであろう。皮肉なものである。(連載終わり)
     (※以上は1971年の文章です。)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-10-12 12:08 | 日岡だより
<< No.458 あがないの真理 ... No.456 愛国の預言者エレ... >>