No.453 われ聖なればなんじらも聖なるべし 2010.9.12

われ聖なればなんじらも聖なるべし

 口語訳聖書では「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」とあります。ペテロの第一の手紙第1章16節にあるみ言葉です。
 しかし、標題にした「われ聖なれば、なんじらも聖なるべし」とある文語訳の聖句は、私たち年配の者の心には焼きついています。
 口語訳のみ言葉は分かりやすい点は良いのですが、心に訴える強さでは文語訳にかないません。聖句を暗唱するときには文語訳のほうが良いですね。
 神様を信じ、イエス様を主と仰ぐ私たちは、そのみ言葉を心にしっかりと抱いて、日々に従い行く者でありたいです。
         *
 その時、この「聖なるべし」というお言葉は、なんと気高く私どもの心に響いて来ることでしょうか。
 とても私たちには、及びもつかないことであるですけれども、しかも天の神、主イエス様のように聖(きよ)くありたい。
 この望みは、絶対ですね。主を信じ、主を愛する私たちの当然の願いです。とても達し得る境地ではありそうもないけれど、しかも是非とも与えられたい。
 イエス様、あなたの聖(きよ)さを、私どもにお与えください。お分かちください。
 切にお願いいたします。
 私の貧しい理解ですが、神様の愛と義が一つになるとき、それが聖なのだと思います。
 その聖の何百万分の一でも良いですから、神様に頂きたいです。神様、是非! 《く》
 
 
(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

いのちの初夜(6)

 ああ、この人間の心のきわみなくあわれな卑怯さよ! しかし私は遂に追いつめられてこの質問、お前は果たして信じているのか、信じていないのか? という執拗な訴究にまる一日悲しみもだえた。そして遂に私は答えた。「私は信じる。彼を信じるものはその信仰により救われるという事を。しかし! それは一般的真理、信仰の法則として承認しているというにすぎず、私ひとりのことについて言えば、私は信じていない!」と。
 こう心の中で答えた時、その一瞬、私の前に地面がわれて奈落の暗黒の底が開き、地獄の炎がメラメラと燃え上がって、私はそのどん底に突き落されていった。その霊的事態を私はまざまざと手に取るように見た。私は悲鳴を上げてころびまろび、「我は生まれざりし方がよかりしものを」と言い、しかも自ら生命を絶つ気力も、また生きながらえていく気力も失せて、ヌレ雑巾のようにペッタリと地べたにはいつくばっている自分を見た。私はこの絶対的な絶望状況の痛ましさを、いま思い出すだけでも胸がつぶれる思いがする。
 後年、私が多くの人に挑戦するたびにこのことがおこった。かってジョン・ウェスレーがモレビアン派の人に問われ、わが内なる声であれかこれかと問われたように、今度は私がその魂の中軸にグイと問いかける。そうすると歯医者に行って虫歯をつつかれた患者のように多くの人が悲痛な叫び声をあげる。見ていて痛ましいけれども、こうするより他に手はない。霊的外科治療である。
 たとえば、ある青年は長い信仰歴(?)を持ち、神学校に行き伝道さえしていた人だったが、不幸(或いは幸いか)にも病を得て病床に呻吟する時、私は問うた。「君は救いの確かさを持ったか。信仰とは一般的教理を承認しているとか、洗礼を受けているとか、教団に属しているとかいうこととは違う。神と直接顔と顔とをあい合わせてみることである。神とのプライベイトな交渉、愛の交わりのあることである。そして魂の壁にその愛のしるしの聖痕を受けていることである」と。
 彼は不治の病の宣告を受けたよりもまだ驚いて、私からもらった苦汁をなめ、私をうらみ神をうらみ、ついに山に逃れて自殺しようとさえした。このような人が、確実に見事にタシカな信仰に突入していく時、私は「この汝の兄弟は死にてまた生き、失せてまた得られたれば、我らの楽しみ喜ぶは当然ならずや」と神と共に喜ぶのである。
 また、ある人はこうだった。私の挑戦の言葉を聞いて、彼の心はくらく沈み、外に出てみれば、太陽は明るく花は咲きかおっていても、しかし太陽はドスぐろくよどみ花は毒々しくしおれているかのごとくしか感ぜられず、もんもんの日を送って昼はフトンをかぶって泣き、夜は野良猫のごとく外をさまよい歩き、神との対面を待った。神よ、あなたの息吹きにふれ、神よあなたの胸に抱かれ、あなたの心臓のコドウをきくまでは、私の魂は休みを得ませんと迫った。鹿の谷川の水をしたいあえぐがごとくわが魂は活ける神をぞしたう、と旧約聖書の詩人はうたうが、正にしかり、死んでいる神ではない、哲学者の神でも神学者の神でもない、活きている庶民の神と抱きあい、彼のひざに憩い、彼の永遠の乳房に吸いつくまでは、我らの魂はあえぐが如く苦悶するのである。

          三
 
 それは昭和十九年十一月のことだった。その頃はすでに敗戦前夜であった。福岡市には既にアメリカ空軍の空襲があっていたかと思う。私は数え年二十三才であった。聖フランシスの回心と同年である。私はその前後、宮崎安右ヱ門の「聖フランシス」を読んでいた。自ら托鉢乞食をしていた宮崎安右ヱ門の聖フランシス伝の文章はみずみずしく、ことにその序文を書いていた西田天香の文章が格別に印象的であった。
 当時、私は刑務所の厳正独居房にいて、封筒はりとか手袋かがりとか軽作業をもらっていた。退屈な独居生活であるから、雑役(同じ囚人であるが兵隊で言えば班長のようなもの)のウケがよければ仕事をたくさんくれる。ウケが悪ければ仕事を少ししかくれない。
 仕事のひどい雑居部屋の連中にしてみれば、免業日は仕事は無いし、映画や講話などもあって、結構楽しい日なのだが、独居房の囚人は時間をもてあます。厳正独居の囚人には映画も講話も何もない。風呂も一人一人バスに入る。何かの拍子で呼び出されたり、検診を受けたりすると、それだけで嬉しいヘンな生活である。
 (つづく)
   (※以上は1971年の文章です。)
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by hioka-wahaha | 2010-09-14 14:41 | 日岡だより
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