No.445 神癒の福音を明確にしよう 2010.7.18

神癒の福音を明確にしよう

 先週は「主の福音を明確にしよう」と述べました。今回は「神癒の福音を明確にしよう」と書きたいのです。
 単純に大胆に、神癒の確かさを多くの人々に伝えたい、と言うことです。
 福音書を読めば分かりますが、イエス様の伝道の第一歩は今の言葉で言えば、「神癒」でした。
 バプテスマのヨハネにご自分のことを自己紹介されたイエス様の言葉が聖書に残っています。
 「盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人はよみがえり、貧しい人々は福音を聞かされている」(マタイ11:4、5)」と。
 まず、癒しの宣言をし、それを継続することです。
 私が伝道を始めたころ、まだ30歳前だったですが、集会のたびに「病気は癒されます。聖書にそのように書いてあります。神様を信じましょう。病気は癒されます」と、言い続けたものです。
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 私は当時、病気の方を前にして、今のように「病気の霊よ、出て行け」なんて、追い出しの祈りをするなど、到底思いも及びませんでした。ただ「あなたの病気は癒されますよ、聖書に書いてありますよね」と言っただけです。
 それだけで、多くの方々が癒されました。時には「3日待ちなさい。イエス様が癒してくださいます」などと言ってしまって、どうなることかと心配したこともありますが、それらの方々も、3日目が来ると確かに癒されましたと、ご報告があって驚いたものです。
 イエス様を固く信じて、「癒し」を宣言し続けさえすれば、かならず主は私の願いを聞いて下さるというのが、当時の私の素朴な信仰でしたし、今でも同様の信仰です。
 下段の「目ざめ(5)」に書いてありますように、後に神癒についての専門家、また大物に会うわけですが、この方々には格別の癒しの賜物がありました。私にはそんな目覚ましい賜物はありませんでした。
 ただ、めくらめっぽうに「癒されます。必ず神様の力で癒されます」と叫び続けたにすぎません。しかし、この叫び「続ける」というのが秘訣だと思います。信仰の言葉をあくまで持続することです。《く》


(以下は1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

目ざめ(5)

(4)それから一、二年して………
神癒体験の時代に入る。信じて祈る時、神は驚くばかりの奇蹟的御業を以て我々の病をいやし給う。今、日本では神戸で佐藤英彦牧師がすばらしい神癒伝道をしていられる。奇しくも同じ大分県の出身で、私の大先輩である。実にマットウな、きびしい伝道生活と、神癒体験の記録を拝読する時、その内容といい、当時の私そっくりである事にびっくりする。
神癒についてはこれ以上書かないことにする。

(5)昭和三十四年(?)
私は手島郁郎に会う。この超大型伝道者に会って、私はもみくちゃにされてしまう。異言を経験し、いわゆる霊的伝道なるものを目の当たり見たのはこのグループにふれたおかげである。
手島先生は、あるいは大ペテン師でなかったかと言う人々もいるくらいだが、私を心霊的世界への目ざめ、他宗教への寛容性を把握し、また培ってくれたのは先生である。私は生涯に二人の師を持つ。一人は西田天香、一人は手島郁郎。好き嫌いは別として、とにかく大物である。私は敬愛しつつも、ついていけなかったし、こんな人物に会わねばよかったと悔やんだくらいでもあったが、しかし、私の一生にとり大いに意味のあることであった。天香さんのもとで仏教的世界を知り、手島先生のもとで霊的世界を知った。それは、次の私を形成する一つの土台に違いなかった。

(6)俗世に生きる
昭和三十六年、私は一応伝道生活に別れを告げ、印刷屋のオヤジに転身した。俗っぽいソロバンの世界に生きることは、はじめ覚悟したよりも、はるかに至難なことであった。そして、今(昭和四十六年)ちょうど十年になる。私は生活と一枚になりきった信仰を求めた。その幾分かを学び、また悟ったように思う。その間、スブド、空飛ぶ円盤、J・リン君、白光真光会、マスミの家、新しき道、酒井愛神君、山蔭神道、山岸会等々、まじめな正統派のキリスト教の牧師が聞けば肝をつぶすような連中と交遊して雌伏の時を過ごしたと言える。



〔中略〕(山岸会体験の文章は割愛します)

         終 章
 ある秋の一日(一九七一年十月二四日)、宮崎県の日南海岸に来た。岬に来て、ぐるりとはるかの太平洋を見わたすと、誰かではないが、「地球とは丸いもんだということがよく分かる」のである。あの水平線の円周的感じ、その水平線のかなたから船や半島がテッペンをのぞかせてみえる具合を見ると、昔の人が地平が平面であると信じて疑わなかったことが不思議に思えてくる。
 二、三カ月前、新聞に報道されていたが、フィリピンのミンダナオ島で発見された、二十四名の一グループの原住民(タサデー族)は全く石器時代的生活を送り、他の人間との接触は全然なかったそうである。
 彼らは森林の中に住み、森林より食糧を得、ウッソウたる森林におおわれて、夜の空に月が出ることも、星が輝くことも知らなかったと言う。何世代と続く集団生活の中で、時にはチラリと見えたにちがいない月や星の影に、いささかも疑念を抱くことがなかったということに、驚かざるを得ない。
 人間とは、そういうものなのだ。最近、近畿大学の岡部教授(文化勲章受章者で理論物理学の権威)の著書で、人間の魂の素は永遠の昔より宇宙と共にあったのだなどと言っている。こういうことを近代科学の先端を行く理論物理学の教授が言うことは奇蹟に見える。人間形成の素因にからまる不可思議さは、叙上の水平線上の舟の帆や、樹の上の月影のように、時にチラリと見えるにもかかわらず、我々はそれに気付こうとせず、貝のように自分だけのせまい世界に住もうとする。
             (つづく)
(※以上は1971年の文章です。)
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by hioka-wahaha | 2010-07-20 15:10 | 日岡だより
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