No.443 目ざめ(3) 2010.7.4

(1971年12月発行「我ら兄弟」第3号より)

目ざめ(3)

          五

 私は、冒頭に述べた回心のとき、そばに聖書を持っていなかった。当時、私は刑務所に入れられて、戦時中の非国民クリスチャンの故に、聖書を読む事を許してもらえなかったのである。私は、それまで正直に言ってクリスチャンではなかったにしても、熱烈なキリスト教主義者であるし、聖書熱愛者であったからして、「この聖書一巻ありさえすれば、ほかに何もいらぬ。この聖書一巻が私の人生である。この聖書一巻が私の力の源泉である・・・・・・」等々言いつづけてきた。その私が、警察や刑務所へ放りこまれてみて、ハタと困った。その聖書一巻が手もとに無いのだ。私はその時になって気づいた。二千年前の民衆にとっても、やはり聖書はなかったのだと。
 聖書は羊皮紙に書かれて、イザヤ書はあの村のシナゴグに、エレミヤ記はこちらの町の町長さんの家に・・・・・・というふうに散在していたのではなかろうか。聖書は高価であるし貴重品・聖別品であって、一般民衆の目にはさらされていなかったし、また手にしてみてもそれを読み取るだけの識字力はなかった。初代教会の人々にとって、特にヨーロッパ教会において、旧約聖書は稀少なものであったろうし、新約聖書はまだ出来ていなかった。
 当時の人々にとって、「みことば」とは聖書という本ではなくて、人づてに語られ、聞かされ、脳裏に貯えられている聖句、キリスト伝、使徒の説教や手紙であった。それは状況によって誤られやすく、また好都合に曲解されやすい、また曲解して押しつけやすい人間の言葉であった、と同時に、当時の人にとり、「みことば」とは、各自がそれぞれに内に聞く聖霊の語りかけであった。
 人は法律を作って、それを成文化し、契約を取り決めると即座に成文化し、印鑑を押さねば気が済まぬように、神の言葉を成文化しなくては居ても立っても居れぬものらしい。モーセの為に、神は律法を石に刻んだ。ローマ教会の為には、神は新約聖書を羊皮紙にしるしたのであろうか。
 しかし、真の真理の言葉は人の心にしるされる。
それは定形化されず、成文化されず、人間の身勝手な放言になぶられやすいけれど、また化石化せぬ至純の純粋性を持つ。真の真理の言葉は、常に流動性を持ち、不確定さを持ち、常に偽ものではないかという緊張の上に張られたヤジロベーの如き実在者である。これが、聖書の真底の「言」だ。

          六

 人間が動物的生命体として母胎から生まれるとき、これを誕生という。これは生命体としての一つの目ざめではなかろうか。
 後にもう一つの誕生があることをイエスはニコデモに告げている。「人新たに生まれずば神の国に入ることあたわず」。神の子としての目ざめである。この目ざめはしばしば急激にやってくることを、私たちは経験的に知っている。パウロ、アウグスチヌス、ルター、ウェスレー、スポルジョン、フィンニー、内村鑑三、原田美実、福井二郎、石原兵永、釘宮太重、釘宮義人、大石美栄子等々・・・・・・。
 パウロの言葉に「我は日々に死す」というのがある。また、白隠は「我生涯に大悟すること三たび、小悟数知れず」と言っている。
 この目ざめをただ一回的なものとして、尊び、宝ものにし、固守し、塩漬けにし、ミイラ化してしまう人たちがいるが、細胞が次々に分裂して成長していくように、信仰も次々に皮をはぎ、目を覚まし、次の信仰へと成長せねばならぬ。つまり回心は一度ではない。何回もせねばならぬということだ。
 白隠のいう「大悟・小悟」とはどの程度のことをさすのか知らぬが、私の生涯でいうなら、二十二才の秋の回心は私にとり大悟といえる。
 回心と思える諸経歴を大小とりまぜて列挙してみよう。これは私の心の履歴書である。

(1)昭和十九年十一月二十三日
私は福岡刑務所の独房にあった。この日の夕刻、雀が窓辺の桐の木の枝に帰ってくる頃であった。私はイエスの贖罪を信じたいと思っても信じ得ず、古い肉の我は死なず、それどころか、益々、肉の心は内に熾烈に生きて、我は罪のトリコとなっているのを見た。この死の体より我を救わんものは誰ぞ! 救いの教理は判っていても、それが我が内なる心に事実になり得ない苦しさに、窓の外の明るさを求めて、窓ガラスに頭をぶつけてあわてふためくハエのように、私の心は魂の平安を求めてあがいた、その時、「取りて読め」とアウグスチヌスのように子供の声を聞いたわけではなかったが、聖書の御言葉が私の心にひびいた。パウロは言う、
「一人すべての人の為に死にたれば、凡ての人すでに死にたるなり」この言葉が私のうつろな心に重い石のように沈み、そしてズシリと深い底に食らいついた。その言葉が私の心に実現し、私はすでに死んだのだ、と自覚した。その時、古い肉の我は死んで新しいキリストの生命に甦るのであると、その命題が私の生命的事実として定着した。いきなり、喜びが私の全身にこみ上げてきて、私の内を流れるキリストの血汐がドクドクと流れるその音を聞かせてくれるようであった。
   エス君のあつき血汐の今も尚
      溢るる思い我が身にぞすれ
以上のような経験が私をクリスチャンにし、そしてその感動は三十年近くすぎた今も尚、私の内側につきないのである。

(2)昭和二十三年四月一日
当時、私は聖化論に苦しんでいた。原理的に、(或いは、基本的にと言っていいだろうか)救われているという第一次の回心経験を持ちながら、新しい我の中に、古い我が生き残っていて、内に反逆し、猛威をふるっているという、二元論的苦悩を血を流す思いで感じていた。この悩みのドン底で、私はキリストの幻を見た。それはあくまでも私の脳細胞の空想力の所産であることに疑いはなかった。だがそれにもかかわらず、その幻想は大きい圧倒的力をもって私におそいかかり、私の内に臨御したもうキリストの実在感を感じせしめた。その時、フト私は恐れを感じた。このキリストはまた夢のように私を去り、ああ、あれはあの時の一時の興奮でした、本当のキリストではありませんでした、というのではなかろうかと。そう心に思いそめた瞬間、大きな鐘の音がなりひびくように、私の心の内に神の言がひびいた。
「我更に汝を捨てず」と。
この時より、私は「聖潔論」について原則的な面で悩むことはなくなった。

            (つづく)
(※以上は1971年の文章です。)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-07-06 11:25 | 日岡だより
<< No.444 主の福音を明確に... No.442 目ざめ(2) 2... >>