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No.439 信仰の第一歩(1) 2010.6.6

信仰の第一歩(1)

 キリスト教の信仰の第一歩は「義認」の信仰です。イエス様を私の信仰の代理者として信じるということです。
 あなたは、ご自分の信仰が天国に行ける大丈夫な信仰だと自信を持っていますか。
「いやあ、一応イエス様を信じてはいるのですが、今の私、このままで天国に行けるか、どうかよく分かりません。どうしたら、天国に行けるようなしっかりした信仰を持てるでしょうか。」
 このように答えるかたはけっこう多いのではないでしょうか。はっきり申し上げますが、このような信仰では、この地上の生活を終えて、天国の門の前に立った時、待ちもうけていた使徒ペテロ先生に、
 「さ、あなたの信仰は?」
 と問われた時、答えることが出来ません。
 そうです、次のようにお答えできる者でありたいのです。
「ハイ、私はイエス様の尊い御血潮によって聖められ、神様の子どもとされていることを信じています。価値無い者ではありますけれど、イエス様の御あがないにより、神の国に入れさせて頂けることを感謝致します。アーメン、ハレルヤ!」
 いかがでしょう。さあ、このようにお答えできるよう心備えしてください。《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
【日記】11(1969年)

9月6日(土)(残暑なおきびし33度)
 クリスチャン新聞で、インドネシアのリバイバルについての日本人牧師団の報告を読む。これはまさしく本物である。チンチェンドルフやブレイナード、フィニーやリーズ・ハウエルズ等のときと同じだ、リバイバルのときに常に見うけられる一つの霊気がある。
 彼らのリバイバルの特色として次のことをあげている。
 「1. 喜びに満ち、賛美にあふれている。だれかが歌い出すと全体が和し、酔うがごとくくり返し歌っている、集会だから何かを歌うというのでなく歌い出すと集会が始まるわけである。
 2. 祈りが生き生きと自由にささげられる。時間は問題にならない。そして疲れないのである。これは祈りの霊が注がれているからである。
 3. 神のことばにたいする渇きが深い。集会の時間も長いことがある。しかし、かれらはあくことなく主を追い求めている。
 4. 迫害と苦難に耐えている。リバイバルには奇跡的回心が、伴う。それとともにかならず反対と迫害が起きる。それに耐えてあかしを立てて進むとリバイバルがさらに広がる。献身と犠牲は離して考えられない。
 5. 主を愛し、世俗の誘惑や試練と戦って集会に出席し、心を合わせ力を合わせている。
 6. そして献身者が続々と起こされ、神学校入学の機を待っている。献身的信徒が群の世話をしている。」
 つぎのニュースも感動的である。
 「ジャワ島。とくに団員が回ったバツー附近ではキリスト教信仰に入った者が周囲の迫害に耐えてあかしを立てているのが目立っている。共産主義者だと訴えられて獄につながれている者もあり、自分の夫は連れて行かれ、殺されたという未亡人もある。
 チモール島はいやしのわざが起き、いろいろ奇跡的なことが相次いで起きているとのことである。
 また、インドネシアのリバイバルは悪霊との戦いである。悪魔の力が破れると魂が解放され、悔い改めキリストに帰る。」
 要約すると、「喜び、祈りの自由、みことばのかわき、愛と一致、迫害、いやしと奇跡、悪霊との戦い」である。
 このようなリバイバルのために、日本列島を霊火でもやすために、私たちも祈ろう。教派をはなれて祈ろう。一致して祈ろう。日本全国に祈りの網の目を張ろう。日本の全クリスチャンよ! 目をさまして祈ろう。
 
9月7日(日)曇 涼風あり
 昨夜より、今朝にかけて説教準備。
 朝九時頃か、軽い地震あり。
 本日の集会は、出席者いたって少なく、五指をもって数うるに足る。されど我は意気軒昂なり。キリストの善き兵卒として、霊戦を戦いたしと語る。
 夜、鶴崎集会、S姉に視覚的ドラマ的祈祷の要領など教える、役立てば幸いである。
          ×
 詩篇第一九篇七節
  「主のおきては完全であって、
     魂を生きかえらせ、
   主のあかしは確かであって、
     無学な者を賢くする。」
 深夜、私は一応の事務を終え、さてどうしようかと迷った。読みたい新刊書が三冊、雑誌が二冊、未読のまま本棚に放りこんである。もう十日にもなろうか、忙しいままに読めなくて困っている。だから今晩でも(正確にいうとすでに十二時はすぎているが)一冊はあげておかなくてはと思う。
 しかし、我が魂は今また不思議に愁いにみたされている。生気がまるでないのだ。なにくそ、本の一、二冊何だ、知識が何だ、まず生命ではないか。そう思って、私は祈ろうと思い、まず聖書をひらいたとき、右に掲げた聖句を得た。このみことばが稲妻のように私の心を射たのである。
 「主のおきて」とは何だろう。
 「主のあかし」とは何だろう。
 私はヘブル語に暗い。日本訳はこまかい表現において不確かなように思えて心配でならぬ。つい書生気分がでて註解書をあさった。しかし、駄目である。私が求めているような照射の仕方でこの文字を洗ってくれる人はいないのだ。
 やむを得ぬ。私は無学にかえる。やっとこうやって素人の聖書学者気取りめが、一文不知のともがらに帰るのである。手間のかかるこった。
 祈る、こうなれば祈るしかない。
 主よ、みことばを教えてください。
             (つづく)
(※以上は1969年の文章です。)

※前回は「日記」9 としていましたが、10の間違いです。
 
【おしらせ】
◆6/18(金)、19(土):NHKBSハイビジョン及びBS2の「ザ☆スター」(午後8時~10時)に、右近勝吉兄が出演されます(「スター」は中村雅俊さん)。
◆6/20(日)午後1:30より護国神社参集殿にて。手島郁郎先生の映画公開「日本よ、永遠なれ」
◆7/5(月)19:30、7/6(火)10:30:チャペル・ノアにてWOGA JAPANリトリートがあります。
 韓国ハレルヤ教会 Dr.キム・サンボク牧師をお迎えして。
by hioka-wahaha | 2010-06-08 16:31 | 日岡だより
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