No.436 この人以外に私を救い得る者があろうか 2010.5.16

この人以外に私を救い得る者があろうか

 この世の中で、どのような逆境、辺地、野蛮の処でも、誰も、一人残らず、這入り得る、救の道があろうか。ある、ある。それは、
 
 万人を救い得る信仰でなくてはならぬ。
 どのような貧しい人間、
 どのような弱い人間、
 どのような無学な人間でも、
 あずかり得る信仰でなくてはならぬ。
 
 どのような高大な財貨も、
 どのような意志の強さも、
 どのような博学も、
 それを役立てはするが、それが役立ちはしない、
 そんな信仰でなくてはならぬ。
 
 金もなく、地位も無く、信用もなく、
 知慧もなく、学問も無い人間、
 絵も分からず、音楽も分からず、
 映画も芝居も文学も分からず、
 哲学も分からぬ人間、
 
 正直になれず、男らしくもなれず、
 教会にも行けず、聖書も読めない人、
 そういう人間でも、そのままでよい、
 私にすがって来なさいと言ってくれる
 十字架上の人以外に、
 この私を救ってくれる人があろうか。
           (1955年1月4日記)

 
荒巻保行君のこと
 
 荒巻保行は私(釘宮)たちの青年前期と言うべきか、18歳から20歳の時代(昭和15年前後)に、お互いに緊密な「親友」であった。
 もう一人、安部勝美が居て、3人組であった。しかし、安部君はすでに満州(現在で言えば、中国の東北部である)に就職していたし、また私は親族の経営する会社に就職していた。
 そして荒巻君は、大分市の中央の商店街でかなり大手の制服店を経営する父のもとで、いわば坊ちゃん育ちであった。
 彼は、東京外国語学校に受験に行っていたが、在京中に肺結核が発病して、受験をあきらめ大分に帰ってきた。
 彼の父親は手早く別府市の山手にこじんまりとした家を求め、荒巻君を療養がてらの別荘住まいということにした。そして、婆やを雇って共に住ませ、食事や身の廻りの世話をさせたものである。私どもから見れば、随分と贅沢なことであったが、そういう経済力が父親にあったと言うことである。
 この荒巻君の療養のための小別荘のすぐ上には、九州大学の温泉治療学研究所の病院があった。療養中の荒巻君のためには、至近の場所に一流の療養所があったことも、父親にとって心強かったからであろう。
 ともかく、当時の中学校を卒業したばかり、少年期をやっと抜けたばかりの私たちであったが、適当に家庭も平和、まあまあ中産階級というか、お互い環境も良かった。見舞いと言っても、彼と会って文学論を交わすだけ、別府市繁華街に行きたいわけではない。
 周辺はお互いに閑雅な小別荘、塀は無い家が多い。適当に広くもなく狭くもない庭を見せ合いながらたたずんでいる。脇には、森とは言えない、明るい小さい林の広がりがある。そこに荒巻は居た。あの辺りを散歩するばかりの小休憩は楽しかった。
 私は今もあの辺りを車で行き過ぎることがある。すると、胸に甘いものが込み上げて来て、ツーンとするのである。
 私たち、お互いはいわゆる「親友」同志であって、何時までも沈黙のままで側に居ても、何も気にならない間柄である。時おりポツンと何事かを言い始めると、また文学論や、稚さない人生論が始まる。
 それが、ふとある日から模様が変わる。某日、私は彼を訪ねて、しばらく会話を交わして、「さて」と、彼の家の玄関を出ようとした。例の九州大学医学部の付属病院から定時のバスが出る時刻なのである。その時、彼が言った。
「僕はねえ、今『死の哲学』を書こうと思っているんだ」
 僕はチラリと彼に向かって振り返って言った。先程も家の中で、多少そうした問題を語りあっていたのだったか……。
 僕は何の感動もない様子をして、冷静に言い切ったものだ。
「そりゃあ、出来ないぜ。君の中で『死の哲学』が出来上がったら、その場で君は死ぬ筈だよ。
『死の哲学』が出来上がって、尚も死の哲学と言う論文を書くような暇があるのは、まだ『生の哲学』の中で生きざわめいる証拠だよ。本当に『死の哲学』が君の中で完成したら、その場で君は死ぬね。それが『死の哲学』だよ。『死の哲学』の論文なんか書く暇は無いよ」
 この僕の言葉は彼に衝撃を与えたらしい。その時から、七十年経った、最近のことだ。荒巻君の弟さんが、当時の荒巻君から貰った手紙を持っていて、その中に以上の場面で荒巻君が如何に狼狽したか、その心理状態を書いてあるそうだ。時おり、アッパカットを喰わせる私の対話の癖が、その時出たようである。
           *
 そして、その時が如何に鋭角的瞬間であったか。後で分かる。いや、厳しく、私に感じざるを得ない。
 私は適打のホームランを打った気分で良い気になっていたのだが、その3日後か、4日後かだったか、突然、荒巻君のお父さんから電話だ。
 「釘宮君、保行が死んだ。自殺だ。」
 私は驚愕した。彼は別府の山の手の別荘ではなく、もう一つ、別府の海岸近くにあった彼の父親の持っていた別荘だが、そこで荒巻君は都市ガスの栓を開いて吸ったのであろう。そこに、彼の亡骸があった。私は彼を掻き抱いて泣いた。
           *
 彼の死は、彼の死の哲学の結論として、自ら自死したのである。こういう「自死行為」を、私は彼のほか、全く知らない。こんな自殺をした人が歴史上に他にあるだろうか。
 病気でも、貧乏でも、家庭の不和でも、失恋でもない。社会的な国家や社会や経済団体に対する抗議でもない。全くの、人生哲学から来る、純粋の思索的結果として「自死行為」を選ぶ、こんな例をこの文章の読者の中で、そうした「自死行為」の例をご存じの方が居られたら、どうぞ小生にお教え下さい。《く》

〔あとがき〕
 この文章を校正した娘から前に同じような文章があると、日岡だよりの以前のものを何部も見せられてびっくり。荒巻君のことはつい何度も書いてしまうのです。お許しあれ。今回の文章も一応書き下ろしです。呵々。《く》
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by hioka-wahaha | 2010-05-18 11:23 | 日岡だより
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