No.431 「われ更に汝を去らず、汝を捨てじ」 2010.4.11

「われ更に汝を去らず、汝を捨てじ」

 先週は、私の回心の体験を記しました。これは私の第一次聖霊体験です。続いて第二次体験を書きます。それは1948年(昭和23年)3月30日から4月3日にかけての5日間にかけてのことです。
 その頃、私は母と別居して、戦災孤児と同居生活をしていましたが、別に小さな家を家賃不要で貸してくれる人があり、共同生活に疲れた時、その家で休息することがありました。
 その時もその家で一夜を過ごしたのですが、イエス様が私の内に住まいしてくださる素晴らしい経験をしました。
 そして一夜眠った私は、翌朝目を醒ましますが、床から起き出て来る時、
 「や、イエス様はまだ居らっしゃるかな」
 とつぶやいたのです。すると、私の内側からカラカラと笑いの声が起こりました。そして、
 「なんだい。お前さんは一晩寝たら、私は居なくなっちゃうと思うのかい」という声がするのです。
 「えっ?」と後ろを振り返る私に、追いかける声がしました。
 「われ更に汝を去らず、汝を捨てじ」。
 私は呆然と立ちつくしました。この日以来、私の心からイエス様は去りません。このヘブル書13:6の御言は忘れられません。
 その家賃タダの小さな家は、私にとって掛け替えのない聖所になりました。
 それから間もなく、聖霊様の御声を聞いて鶴崎という町に行くのです。《く》


妻の面影(1)

 妻が召されて50日ほどになります。今でも、どうかすると、妻の介護ベッドを置いてあったあたりに行くと、「どうね、トミさん」などと声が出ます。
 先日まで、教会の講壇下に妻の写真を置いてありましたが、そこに行く度に、「トミさん」でした。
 こういう写真があったのか、と思うほどちょっと顔を空に向けて愛嬌のある顔です。今はその写真は彼女のベッドのあった所においてあります。当然、先に書いたとおり、そこで「トミさん」です。
 妻は鶴崎町、今でしたら大分市の鶴崎という区域ですが、そこに弟さんたちと一緒に住んでいました。私は当時、そうです、昭和20年代ですね、その鶴崎という昔ながらの町の中心ともいうべき場所で、持って来いのお宅がありました。林兄弟がかつてお豆腐屋さんをしていたお店のあとです。土間からちょいとお部屋に上がると、そのまま格好の集会所になる。そこで毎週日曜日の礼拝が出来たのです。林兄弟のお陰です。
 その集会で、2か月もすると、10人ほどは集まってくれる集会になりました。その中に、トミさんもいたわけです。
 トミさんは、8人きょうだいの上から2番目で、両親に早く死なれ、弟たちや妹は、一人は高校を卒業できる寸前のころ、その下は中学生の弟妹だったしょうか、トミさんは食糧事務所に勤めながら、その弟たちの世話もしていました。死んだ父親の恩給が少しあって、どうにか生活はできていた、ということです。
 ともあれ、両親を亡くして、恩給が少し有るとは言え、弟妹たちを扶養するのは大変だったでしょう。でも、トミさんは物事をとり仕切り、人と交わるのは余り苦にならないほうです。
 また勤めが食糧事務所だったとは、どういういきさつか知りませんが、食糧事情の困難だった時代、あまり世話してくれる人の無かった時代、よくも食糧事務所なんかに職を見つけたものです。食糧事務所だから食糧はたっぷり貰えるとは言えないでしょうが、それでもねえ、なんとかなったらしい。
 正直にいうと、この釘宮先生宅も少しお米を分けて貰ったことがあります。実はこの鶴崎という町は大分市の中では特殊な区域なのです。昔、肥後の加藤清正の子孫の肥後の領地の飛び地というわけで、お互い仲間意識が強い、しっかり手をつないで頑張るところがある。
 その上、トミさんの家は昔の士族の流れで気が強い。へこたれない。そこへ持ってきて、私はトミさんが集会に来始めたら、早速、2月28日の週報425号に書いたように彼女を訓練した。それに対して、よくついて来てくれました。《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
【日記】4(1969年)

 「愛すべからざるものを愛する愛、仇敵をも愛する愛」
 それは律法ではない。愛するフォームをとることではない。魂の底からわきでる真情なのだ。神の泉よりわきあがる聖霊の情なのだ。神が我ら土くれに似たる魂に再創造したもう神の愛なのだ。ゆるされ、あがなわれた我らにおこる、古き我らに対するキリストの勝利なのである。
          *
 日ごと、よく祈れることがうれしい、祈りたいなア、かたじけないなア、と人のいない時など、そっと合掌している。神々しい霊気がただよう。よく省みれば、あいかわらずの、弱く、おろかな肉のかたまりの私なのだが。
 福島のK君に第二信をかく。
 従妹のS君に一灯園の経験など話す。
 大分福音集会の発足挨拶状第二信を発送す。
          *
 昔の同僚のI先生より電話あり、夕食後なれど招かれて行く。I先生と奥さんと奥さんの友人M姉と歓談す。水を入れて、心づくしのウイスキーがおいしい。
 M姉は「エホバの証人」の信者さんとかで、こういう再臨派の人には熱狂的律法信者が多く心配していたのであるが、そういう人でなく、まじめで素直な人でありがたかった。
 もっとも私の形やぶりのキリスト教には口あんぐりで、返答に窮したのかもしれぬ。
 私の悪いくせで相手に物を言わせず、こちらの言いたい放題しゃべるのであるから、多分迷惑であったろう。しかし、再臨派の人々の言うことは大体分かっているので、それよりも珍しいこちらの話を聞かせてあげたかっただけ。
 再臨派のいいところは、伝道熱心、み言葉に忠実、悪いところはその裏目で、狂信(?)と、聖書のコチコチ解釈である。教師から言われたとおりのオウム返しの言葉は、形骸のみであって生きた福音とはそんなものではない。聖書の言葉が、今の日本に骨肉となり血と汗となって活きねばならぬ。(つづく)
     (※以上は1969年の文章です。)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-04-13 12:16 | 日岡だより
<< No.432 とりなしの祈りを... No.430 私のイースター体... >>