No.423 神癒の信仰について 2010.2.14

神癒の信仰について

 私の神癒についての信仰は30歳頃からだったと思う。私の父は15年間、喘息で苦しんだ人だが、それでも彼の遺稿を読むと、「私は神癒を信じる」と書いてある。本音は「信じたかった」のであろうし、また些かでも病状が健康化して行くと、「あ、これは神様の御手だ」と信じたのかもしれない。
 しかし、自分に向かって「この喘息、癒されよ」と叫んだり、言い聞かせたりはしなかったと思う。父の時代、キリスト教世界で「神癒」など公言する人は一人もいなかった。そんな低俗(?)なことを言うのは、天理教か大本教などのその頃の新興宗教であった。生長の家は大本教からの分派だと言えないことはないのです。
 神癒などと言うのは、迷信で、程度の低い拝み屋宗教と一緒だよ。キリスト教はもっと高尚な文明的な、近代的な宗教である。天理教や大本教などと一緒にしてくれては困る、と言っていたものです。
           *
 今でも、多くのキリスト教会では、「え、神癒?釘宮先生ではあるまいし、エヘヘヘヘ」とお笑いになる先生がたもおられるかもしれない。
 しかし、イエス様は語られます。「全世界に出て行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。(中略)信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、病人に手をおけば、いやされる」と。
 然り、アーメン! 《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)

われを仰ぎのぞめ、さらば救われん5
                           (1969年8月24日礼拝説教)

 さてここで捕吏どもが捕えに来た時に、イエスは逃げるわけにはいかない。彼は私達とは違う。怖くて逃げられないわけではない。我は十二万の天の軍勢をもって汝らを蹴散らすことも出来るけれども、それは神の御旨でないと言って、ゲッセマネで充分に祈っていましたから、神様から無理矢理ひきとめられなくても、自分で逃げはしませんでした。
 私などでしたら日頃祈っていないから、こら逃げてはいかんぞと無理矢理胸をギュッと締めつけ倒してくれたのでしょうが、その倒れているどん底で、「然り、主よ、聖書の言は成就されなければなりません」と言ってやっと御言に従うことを教わるわけであります。
 「ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、人々が彼をつかまえようとしたので、その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った。」(マルコ14:51~52)
 この箇所はマルコ伝だけで、これはマルコ自身の思い出話であろうとある学者は言っております。その若者は多分、イエスの弟子を二階座敷に招いた水瓶を持った若者だったかもしれません。あるいは二階座敷のあの家の息子であったかもしれません。多分そうだろうと思われます。イエスにつき従っていったこのマルコはビックリして逃げ出した。そこで亜麻布は兵士の手に残り、彼は裸で逃げ出したのであります。
 この亜麻布は質素な布ですが、また神聖な布でもあります。イエスを墓に収める時にイエスを巻いた布も亜麻布です。この亜麻布が今も残っているそうです。イエスのきずあとの汗と血がしみついていてイエスのかんばせも当時のまま見ることが出来るそうです。(体つきもそのまま化学変化して写真の乾板のように姿を写しているのです。その布が今もイタリアのトリノにあるそうです。)
 ところで、神はその御一人子を遣わして全人類を贖いたまう、全人類の全身全霊を贖いたまうことこそ、神の御旨である、神様の意志である、そのご意志にイエスは思い迫られて、身動きが出来ないほどである。そのようにイエスを包んだ義の御言こそ亜麻布の真意であります。亜麻布はイエスを包んだ御言の型であります。
 ところがせっかくイエスに形だけつき従ったこのマルコは、捕吏どもに引き留められれば恐れおののいて、この亜麻布(御言)を打ち捨てて裸で逃げてしまうから、イエスの御救いがわからないのです。
 私達はどうかこの御言をいくら取り去られようとされても―――今も多くの聖書の迫害者がいます。共産主義者がいます。色々な教会の批判者がいます。それに僕らが義の衣を引っ張られてすっかり真裸にされて逃げてしまいやすい―――しかし、いかに彼らが引きずり込もうとも、私ども自身がこの神の御言を鎧うて、そして、主の御足跡に従い、主と共にあの十字架につく気概があるならば、最後の十字架の場まで行って、あの一人の強盗のように「主よ我をかえりみたまえ」と願います時、主は、「我汝につぐ、我汝と共にパラダイスにあるべし」と言われた。
 ところが、もう一人の強盗は「何を言うか。人を救うて己を救わず。己を救うて見せよ」と、悪態をついて死んでいった。なぜ、あの時、イエスにつき従う弟子の誰か一人が、あの悪態をついた強盗の身代わりになってでも、イエスのお傍で十字架につくものがおらんかったのか、なぜおれなかったのか、それは自らがその神の御言を纏うことが出来なかったからであります。
 私達はこの世の人に亜麻布を取られて逃げ惑う者ではありませんで、イエスのかんばせが今も残るところの布を纏うて、イエスと共々にもう一つの十字架に私をつけてください、私の血潮とイエスの血潮とを一つにしてください、と言ってキリストと共に十字架につきたい。そこまで私達はイエスの足跡につき従いたいと思います。
 「それから、イエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた。ペテロは遠くからイエスについて行って、大祭司の中庭まではいり込み、その下役どもにまじってすわり、火にあたっていた。
 さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするために、イエスに不利な証拠を見つけようとしたが、得られなかった。多くの者がイエスに対して偽証を立てたが、その証言が合わなかったからである。ついに、ある人々が立ちあがり、イエスに対して偽証を立てて言った、」(マルコ14:53~57)
 さて、当時のヘブルの法律は死刑に対しては非常に用心深く、二人の証人の証言が完全に一致しなければ死刑にすることは出来なかったのです。それは当時、世界では珍しい良い法律でした。この時、群衆を集め、イエスを陥れる工作に躍起の祭司長等にとり二人の証人を作り、その口裏を合わせるくらいは何でもなかったはずですのに、それが少しもうまくいかぬ、そこが不思議ですね。(つづく)
(※文章中の内容はすべて1969年の時点のことです。)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-02-16 12:44 | 日岡だより
<< No.424 キリスト教とは何... No.422 人は猿の子孫では... >>