No.421 死人がよみがえる! 2010.1.31

死人がよみがえる!

 強烈なメッセージが届きました。今度出た新刊書ですが、その標題が「死人がよみがえる」というのです。私はさっそく追加注文しましたので、来週には数冊は当教会に着荷するでしょう。
 尚、その概略を簡単に記事にしたマルコーシュの通信紙が手元に来ていますので、以下にご紹介します。
           *
 場所はアフリカのタンザニアです。ダルエスサラームという都市にある「キリストの栄光教会」という教会です。ジョセファット・ガジマという牧師先生がおられ、礼拝のあとで祈りを求めている人々のために祈ってあげるのが、いつもの例のようです。
 特に家族によって運ばれて来た死人のために祈られる。そうすると、死んだ人々が生き返るという奇蹟が見られるというのである。
 最近、日本からも吉田という長老さんがその教会を訪問したそうです。そこに息を引き取っている10歳の少女が運ばれてきた。その少女をガジマ先生が講壇にあげた。そして、日本から来ている吉田長老さんや同行の日本人の牧師チームに講壇に上がって、少女のために祈るように勧めたというのです。
 すると、先生がたも不思議に平安に満たされて、講壇に上がってその少女のために祈ってあげた。
 すると、5分もたたないうちに少女は目を開けて立ち上がった。そして先生がたに握手を求めたというのです。今、奇蹟の時代が地球に訪れている。そう思えてなりませんね。《く》


(以下は1969年10月発行「我ら兄弟」創刊号より)
われを仰ぎのぞめ、さらば救われん3
                             (1969年8月24日礼拝説教)

 つまり、小さなブタでは役に立たんけれども、あちこちの農家で飼育してブタが大きくなったらこれを大きな会社に持ち帰ってこれをハムにしよう、小さなブタは大きな会社では扱えないが、大きくなれば買収して高収益を独占資本が収める。こういうのが今の経済の動きです。
 そういうことについて大○○印刷や××の社長さん達は夢にも悪賢く考えているわけではない。しかし地球上にある資本力というか、金の力というものはそういうことをブルドーザーのように強力にやってゆく、社長は善人であっても会社というものは貧乏人を押しつぶしてやっていきます。このように金の力は恐ろしい。
 金の力は我々の社会生活を破壊していきます。そのやり口を見ていると用意周到な計画、その緻密さに驚きます。そこに人間の知恵をこえたサタンの働きを僕は見ることが出来るのです。サタンが金の力を用いると、恐ろしい計画性を発揮します。サタンは常にはかりごとをし、人間をだます者であります。このことをよく知っていてください。ですから、ここに書いてある
 「彼は来るとすぐ、イエスに近寄り、『先生』と言って接吻した。人々はイエスに手をかけてつかまえた。」(マルコ14:45~46)
 のような事が起こるのです。かつてイエスを愛する師と呼び、イエスの前に涙を流してひれ伏したユダがどうしてこういうふうに変わって行くのか、これこそ用意周到なたぶらかしの霊サタンの仕業であるということが分かります。もっとも、我々は恐れることはない、我々の霊はこのサタンの霊を押しのける霊であります。
 私が去年(注・1968年)病気をしましたね。そのことをちょうど軍師がその戦争の後で図を引いて考えるように反省してみると、たくさん私に抜かりがある、また信者さんにも抜かりがなくはない。その両方の抜かり、隙をついて入ってくるところの巧妙なサタンの働きを後で悟るのです。
 それらの多くはすべて、善意で良かれかしと願ってしたことでありました。しかし我々は人間です。弱さがあります。お祈りをしても悪いことばかり起こる。良い事をしても、かえって病気や事故でさいなまれる。そんなことで信仰が吹っ飛んでしまうような者ばかりであります。そのような弱さにつけ込んで、サタンがどれ程に我々をだまし、悩まし、荒らし回ったことでしょう。このようにどれほどに我々を悩まし荒らし回ろうとも、我々はただ主イエスの一滴の御血にすがって立つ時に、サタンの業を一瞬にして倒すことが出来るこれが我らの信仰です。
 「イエスは彼らにむかって言われた、『あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日あなたがたと一緒に宮にいて教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。しかし聖書の言葉は成就されねばならない』。弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」(マルコ14:48~50)
 伝道というものは、わりあい無手勝流で行けるものです。ノホホーンとやれます。私の若い時の伝道は案外と簡単にできました。朝鮮戦争の頃で、昔で言えば特高の人というような人たちが調べに来たようなこともあったけれども、わりとのんきに出来ました。私等が思いきりやる時には不思議な力がありまして、何でもやれます。
 イエスの初期の伝道の時は、エルサレムの有志等は、まったく抵抗できんというほどにものすごい伝道をされたのです。民衆は皆イエスにつき従っていったのです。
 エルサレムの有名人士たちは、祭りの間はイエスに手を出さぬつもりでした。それが人間の側の計画でした。しかし、サタンは巧妙に立ち働いて、ユダを動かし、祭りの最中にイエス捕捉の計画が立案されました。そしてサタンの計画が神の意図に合流されてくるという奇妙な歴史の動きになります。
 そのようにして聖書の言は成就する。なにも聖書に書いてある言葉を杓子定規に教条主義的に信奉する必要はない。御言は神様の御旨であります、神の意志であります。私たちの生涯もまた、御言によって決定するのであります。
 「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。」(ヨハネ8:31)
 今日私たちの新しい集会を主イエス・キリストの弟子兄弟団と名付け致しました。イエスの弟子とは何か、イエス・キリストの弟子の一つの条件は「もし私の言の中にとどまっているのであれば私の弟子である」ということであります。
 これはね、何もイエスの言を一言一句暗唱しているというようなことではありません。また、イエスの言を律法的に実行して私達の生活をがんじがらめにすることでもありません。そういうことでない、もっと真実な神の御言が私の中に満たされる、また私がこの神様の御言から離れようとしても離れられないということ、それがイエスの弟子の一つの条件であります。(つづく)
[PR]
by hioka-wahaha | 2010-02-02 01:39 | 日岡だより
<< No.422 人は猿の子孫では... No.420 ハイチのために祈... >>