No.416 信仰と愛 2009.12.27

信仰と愛
 
 「愛」という心は、他から愛されて、特に神様から、そして親や、配偶者や、恋人から愛されて、初めて反射的に湧いてくるもののようです。つまり、「愛」という心は、自力で湧かせることが出来ないように思えるのですが、あなたはどう思いますか。
 これに反して、自力で起こせるものは信仰です。尤も、信仰という心も神様から与えられて起こるものだと、長い間、私は言い続けてきました。これは勿論、本当です。
 しかし、「信仰は自力で起こせるよ」と言いたいほどに、少なくも「ごく小さい信仰を自ら励まして、これを大きく育て強くして行くことが出来るのです、また、それが信仰そのものにとって必要なのです。これは信仰を求める者にとって大事な提案です。
 パウロの提言に「信仰、希望、愛」という三つの中心語をあげた聖句がありますが、よく考えてみると、これら三つのものの基本にあるのが信仰です。信仰があればこそ、希望が湧くし、愛も萌え出ずるのです。
 信仰が希望を見出だし、希望を育て、愛を紡ぎ出すのです。信仰が愛を生み出し、これを励まし、育てるのです。
 信仰は、希望や愛と異なり、自らを励まし、強化し、拡大する特殊な力があります。希望が更に希望を生み、愛が更に愛を広げるということは、あり得ないとは言えませんが、しかし信仰こそ希望や愛を生み出し、強化し、拡大する力です。
 信仰の不思議な力は信仰そのものを自己強化する力です。信仰は自らを自己強化してやまないエネルギーを秘めているのです。
 希望や愛の心は、残念ながら、それ自身では、どうかすると、尻すぼみし、衰弱し、消えて無くなる傾向を持っています。
 しかし、信仰には信仰自らを励まし、自らを強め拡大するのみか、希望を強め拡大し、愛を強め拡大し強化する特徴があるようです。
 だから、信仰生活の活力の基本は信仰そのものにあります。信仰を自ら励まし、強め、広げる時、同時に信仰は更に加えて、希望も愛もそれを強化し、拡大するのです。
 信仰生活を豊かにする秘訣は信仰です。もちろん、そのために欠くべからざるものは、聖霊様の注ぎと助力です。そして信仰者の側から言えば、聖書の学びと、祈りと冥想です。
 (私の言う冥想とは東洋流の冥想、座禅やヨガとは違います。深い祈り、聖霊様にある交わりです。誤解を恐れますが、私はいわゆる「冥想」については初心者です。どなたかのご指導を得たいと願っています。また、冥想についてはカトリックの方々が優れているようです。良い冥想の訓練の場もあるようです。東京都五日市の神瞑窟など。)(釘宮)
 
 
癒しの信仰について(4)

          *
 また、たとえ賜物が与えられていると言いましても、賜物は信仰の量りにしたがって各人に分与されるという、それぞれの限度があります(ローマ12:3~6参照)。腰痛はすぐ直せるのにガンはなかなか直らない、というようなことです。その場合、信仰の量を拡大すれば癒しの能力も拡大するのです。
 なお、賜物は与えられていなくても、その場その場において熱心に祈って信仰が強くなる場合、一回限りだけれど、そこに奇蹟的癒しが起こることはよくあることです。
 イエス様の弟子たちが、それまで既に地方伝道旅行で悪霊追い出しや病気の癒しで成功していた、言わばぼつぼつベテランになりかけていたのにテンカンの子供を癒せなかったことがあります。「先生、なぜ私たちは癒せなかったのですか」と不思議がったとき、イエス様は「あなたがたの信仰が不足していたからだ」とお答えになっています(マタイ17:19、20参照)。
 この例で分かりますとおり、信仰が不足すれば強力な病気は癒せません。信仰を「拡大、増殖、強化」する必要がある理由です。病気のほうの霊的力が強ければ、こちらが負ける、単純な力関係です。
 もし私たちの信仰がカラシ種一つぶほどに小さいとすれば、これを霊的に肥沃な土に蒔くとよいのです。そうすれば30倍、60倍、100倍と信仰が殖えるということが起こるのです。
 その肥沃な土とは強い信仰を生み出せる心の土壌です。このことは今回の原稿の主題ではありませんが、以下に簡単に述べてみましょう。
          *
 ここで取りあげる信仰という言葉は、最初イエス様を受け入れて永遠の命をいただく基本的な信仰のことではありません。もう一つの信念とか確信とか言われる希望達成、目標貫徹といった種類の信仰のことです。
 マルコによる福音書第11章22~24節を読みましょう。ここにはイエス様がじかに教えてくださる信仰の秘訣があります。
 ①まず総括的に「神の信仰を持て」とタイトルをつけたい。普通の訳では「神を信じなさい」ですが、直訳で「神の信仰を持て」となります。凄い言葉だと思いませんか。神様が持っておられる信仰の形や性質を学び取れということです。
 ②次は「この山に動きだして海にはいれ」という信仰。これは出来そうもないような大胆な目標を持てというのです。大胆積極! ノーマン・ヴィンセント・ピールの信仰です。
 ③三番目は「山よ、動き出して海にはいれ」と言いつづける告白の信仰です。言いつづけることにより、必ず成るという可能性の信仰が沸いてきます。ロバート・シューラーの信仰です。
 ④次は「すでにかなえられた」という信仰です。この信仰を把握するには目標を心のスクリーンに絵を描く必要があります。ありありと目標の対象が心に描けるようになるのです。その時、既に獲得したかのような信仰が湧きます。趙ヨンギ先生の言われる夢と幻の信仰が起こってきます。 (終り)
       【旧稿(1992年10月)より】
 
 
 ※連載中の「『我ら兄弟』より再掲」は今週も休みます。次週以降つづきを掲載する予定です。
[PR]
by hioka-wahaha | 2009-12-30 12:44 | 日岡だより
<< No.417 神の恵みは天地に... No.415 私のクリスマス体... >>