No.412 癒しの信仰について 2009.11.29

癒しの信仰について

 癒しについて教界内で反対や冷評があるのは残念ですが、一部に熱心な神癒一点ばりの方々がおられて「神癒なければ信仰無し」という鼻息でありますから、多少の反対や冷評があるのは当然だろうと思います。正直、少々慎みを欠いた熱心派は私たちの仲間にいないわけでもありませんし、私もその一人と目されているかも知れませんが、行き過ぎる点は謙遜に自戒したいものであります。
 ところで、まず誤解を解きたい点は、私たちは決して「神癒がキリスト信仰の中心題目である」と言っているわけではありません。
 キリスト信仰の中心はなんであるか。あるいは基礎はなんであるか。次の通りです。
 ①信仰の中心はイエス様の十字架と復活によって、私たちの罪が赦され救われるという信仰です。これが私たちの信仰の最深部にある基礎です。
 ②その基礎の上に結果として与えられるのが聖霊による平安です。また、そこから成長して、力ある信仰を与えられます。さらに加えて品性を聖化され、イエス様に似せられた人になるのです。これはクリスチャンの最もすばらしい恵みではないでしょうか。
 ③かつ又、私たちが天に召されて凱旋できる日を、あるいは主様の再臨の日を待ち望んで、勝利の生涯を送ることです。神癒の恵みは以上の中の②の「力」の分野に属します。
 「聖霊の賜物」とまでは言わなくても、多くの平均的クリスチャンが確信と熱心な祈りによって、しばしば神癒の恵みを拝することは、よく見聞するところです。(次号に続く)《く》


(以下は1971年3月発行の「我ら兄弟」No.2より転載)
 
父よりの期待
 
 父よ
あなたは死ぬ前、母にこう言ったそうだ。
「ヨシトはいい子だよ。
ヨシトはいい子だから、
立派な人間に育ててくれよ」
 これは、どこの父親でも言うことだろうけど、私には特別に神様の言葉のような気がする。そうだ、これはまさしく父の父性を通して告げられる、私への神よりの信頼と激励の言葉である。
 当時、私は満八才。親にしてみれば、それまで望みをかけ期待していた自分の子供が、小学校に行ってたくさんの子供たちの中にまじってみると、案外にボンクラであったり、小心のものであったり、ひねくれものであったりして幻滅の悲哀を感じる頃なのだ。
 私は女性的雰囲気のつよい別府市の野口小学校から、校舎のつくりの骨っぽさ、校庭のポプラの太さ、運動場の荒々しい広さ、まして先生たちや生徒たちの土くさい大まかな巨象軍団のような男ぐささ、そういう男性的な大分市の金池小学校に移って来て、気弱な私はただオドオドするばかりであった。そんなわけで、成績もびっくりするほど悪くなり、父は非常に心配したらしい。そういうさなかに、父の病気は急速にひどくなり、何度か危篤状態におちいった。そのようなとき、父は私を想って言ったのであろう。
 現実を、そのまま表面だけでなでまわして見れば、この子は病身で気弱で、そのうえ、どもりの悪癖まであって、学業の成績は下降曲線をたどるばかりである。心配しようとすれば、心配する材料はいくらでもある。しかし、自分は心配すまい、パウロ流に言えば、望みにさからってでも、この子の内面の善を信じよう。今、見えないものを、この子の内に信じて、その将来を妻に託して死のう。―――それが、そのときの父の母に対する言葉の意図であろう。
 私は昨夜、モンゴメリの「丘の家のジェーン」(村岡花子訳)を読んで、(娘の本を奪って読んだのだが)その中に出てくる父親像の素晴らしさに嫉妬を感じた。これが少女小説のわるい処だと憤慨さえした。こんなありもしない虚像をつくりあげて世の娘たちの淡い期待を満足させるのだろうが、おかげでこちらの現実の父親は色あせてしまい、「ただただ、こんなつまらない父親で申し訳ありません」ということになる。
 それにしても、本当に娘たちに対し、こういうアポロとアリストテレスを兼ねあわしたようないい父親になりたいもんだと実は切に思ったのである。
 そのあと、私は床に入って思った。私の父のことを。父は幸い(?)、早く死んだ。父は私にとり、なかば歴史の人であり、理想の人物であった。母が父を夫として絶対に信頼し、尊敬していたからでもある。母が私に、父についての悪い印象を少しも与えてくれなかったことを感謝しなくてはならない。
 母が人生に対して恨みがましいグチを言う、そのグチの多いのには父も閉口したらしいが、私もこの母のねばりつくような哀れっぽいグチ話を聞いて心に波風の立たぬ工夫がまだ完成せぬが、しかし、この母が父への無限の愛と信頼を語ってくれたそれだけで、私は満腔の感謝を母に捧げたい。
 母は本当に、父を世界一の男と思っていた。これはあながち、彼女の無知のせいなのではない。母は父を心底より愛し信じていたのであり、また事実、父はそういう素晴らしい人物であったのである。まさか、世界一ではなかったにしても。(父のことはまたいつか書きたい。)
 私はモンゴメリの「丘の家のジェーン」の父親のような理想的父親ではないけれども、私にはあの小説の父親以上に素晴らしい父親がいたのだという感懐が、私を幸福にさせた。
 娘たちに対しては、出来の悪い父親としての気恥ずかしさがあったが、死んだ父に対しては、「あなたは素晴らしかった」との思い出にふけって甘えておれる子としての幸福があった。そういう幸福さがひたひたと私をひたして、その中で私は眠ってしまったのである。
 今朝、床の中で目ざめて、私は思う。
 父が私に対して信じ且つ期待していた私の人生はどんな人生であろう。「ヨシトはいい子だよ。この子を立派に育てよう」そういう父の声の奥に、私は神の声を聞く。
 私に対する期待水準は異常に高い。しかしそれが、私の自我水準ではなくて、父の愛をとおして語られる愛育者の心であると知って、私は怖れることなく、この期待に添うべく努力をしたい。それがまた、私自身理想的父親になれる途でもあろう。
 父は昭和五年三月十二日に、昇天した。      (一九七一年頃記)
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by hioka-wahaha | 2009-12-01 12:42 | 日岡だより
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