No.812 《聖書のことば》アーメンという保証/私の信仰記(8)獄中の読書/聖句暗記のおすすめ(18) 2017.8.6

《聖書のことば》聖書暗記コースB~12
アーメンという保証

救いの確信「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」
(ヨハネ五・24)
 
 私たちは祈りの時、最後に「アーメン」という。これは「まことに、たしかに」という意味です。この言葉をイエス様は、お話の最初に重ねて用いなさる、「アーメン、アーメン、わたしは言う」、――これが右にかかげた聖句の冒頭の一節(直訳)です。
 私たちが死より命に移っているということ、これを現在形の事実として、イエス様は「たしかに」保証して下さるのです。
(1980.9.14週報「キリストの福音」より)


獄中の読書
――私の信仰記(8)――
 
 私は本好きであります。それにかなり速く読みます。自然、濫読ということになりやすい。その私が、本をじっくり、ゆっくり読むことを覚えたのは、刑務所生活のおかげであります。当時(昭和十九年頃)、刑務所では受刑者に対し月二冊の貸し出しの規定がありました。独房にいる本好きの私に月二冊では何とも我慢ならぬ少量でありますが、そのおかげで熟読玩味(久しぶりでこういう言葉を使いました)の習慣がついたように思います。刑務所の中で読んだ本は、今でもその表紙の肌ざわりや、紙のかおり思い出します。
 さて熟読した第一の本は聖書であります。もっとも聖書は一か月しか読めませんでした。というのは、そうでなくても当時で言う敵性宗教の教典です。ましてそのキリスト教思想にかぶれて非戦主義で入獄してきたヤツに聖書なんか読ませられるか、というわけです。しかし、妻を殺して無期懲役という優しそうな図書係の雑役が一回だけ間違ったふりをして、私の監房に聖書を入れてくれたのです。私はわずか一か月と思うから日夜吸いつくようにして聖書をよみました。一句よんでは目をつぶって考え、一句よんではため息して、自分の不信仰をなげくといった風です。日蓮の言う、心読、体読というのはこういうことでしょうか。あるいは又、「紙背に徹す」と言う事でしょうか。しかし聖書は、いかに紙背に目が通るようによんでも、やはり分りませんでした。最後に御聖霊様が働いてくれなければ、聖書は分りません。しかし、そこに至る準備の道として、あの一か月の熟読玩味はやはり本当に良かったと思うのであります。
 その次に、私の信仰の支えとなった本は、「真宗聖典」でありました。これは浄土真宗で使う主要なお経や親鸞や蓮如などの文書をまとめたものです。信仰の対象は別として、「いかに信じるか」という信仰の姿勢については、私は多くを「真宗聖典」に学びました。
 もう一つは、森田正馬博士の「神経衰弱の本態とその療法」です。現在では世界に冠たる森田療法ですが、当時は民間療法に毛がはえたくらいのものに思われていたでしょう。私はこの本を読んで、目がさめる思いがしました信仰の実践生活に非常に役立ちました。
 更に一つは、岡田式静座法です。のちに、クリスチャンのくせに、ヨガ呼吸法などに相当深入りするのはこの時のおかげ。実際に岡田式静座法によって厳冬の間、凍傷にかからず、寒さしらずにすごす事が出来ました。こうして、東洋風の訓練を身につけた事は、事の善悪は別として、のちのち、私の信仰生活に大きな影響をのこしたと思われます
 (1980.9.14週報「キリストの福音」より)
 

聖句暗記のおすすめ(18)

 右頁「獄中の読書」の中で書いたように、人生いついかなる時、聖書を取り上げられる時がくるか分りません。今の共産主義国家のクリスチャンを見れば良く分ります。
 それ程、非常の話でなくても、散歩の時、人を訪ねた時、病床で医者に読書をとめられた時、私たちは聖書を読むにはどうしたらよいですか。それは暗記以外にありません。
 かつて、アメリカ映画で、ある独裁国家が出来て、国民はすべて読書を禁じられます(思想統制なのですね)。その時、読書人の群の人々はそれぞれシェークスピアとかプラトンとか分担をきめ暗記して、互に暗誦しあって読書の喜びを味わうのですね。本が高価で文盲の人の多かった古い時代の教会も同様だったでしょう。
 そこでおすすめしたい事は、短い聖句だけでなく、かなり長文の聖書を覚える事です。先週のS姉の詩篇第一〇三篇、A姉の詩篇第一九篇等、聞く者にも多大の感銘を与えました。暗唱する本人には聞く人以上に感銘深いのですよ。聞いていると、その声に私は泣けてしまいます。
 (1980.9.14週報「キリストの福音」より)


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# by hioka-wahaha | 2017-08-19 19:40 | 日岡だより

No.811 《聖書のことば》永遠の命を再認識せよ/聖句暗記のおすすめ(17) 2017.7.30

《聖書のことば》聖書暗記コースB~11
永遠の命を再認識せよ

救いの確信「御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない」
(第一ヨハネ五・12)
 
 自分に信仰があるのかどうか、疑わしくなることがあります。そして、こんな不信仰な思いが出るようじゃ自分はだめだなと、絶望することもあるでしょう。
 しかし、こういう経験はだれにもあります。第一級の聖者にだって時におこることだと思います。これは、悪魔が私どもの心に悪い思いを入れるからです。悪魔の思いを追い出す手だては御言葉です。聖書の目的の一つは、私達の内にあるいのち(信仰)をもう一度確認し悟らせることにあるのですから。
(1980.9.7週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(17)

 今、教会学校ではいつも、「十戒」を朗唱しています。よく意味も分らずにとなえている生徒も多いと思いますが、それで良いと考えています。言葉の意味はいつか分ってきます。幼い時に、くりかえし口にとなえた言葉は、人の心に深く刻みつけられて、一生を支配します。
 非行少年、非行少女(のみかは、非行成人者)をうみださぬ為の、最もかんたんで強力な方法は「十戒」の朗唱です。これをうわべだけの(口さきだけの)朗唱にせず、感情をこめ、声をしっかり出し、十戒を暗唱することを、家族もいっしょに実行して下さい。
 旧約聖書以来三千五百年間、ユダヤ人とキリスト教徒をつちかった御言の霊力が働きます。「十戒」を日夜朗唱して(暗唱できれば更によい)、すばらしい子供を育てて下さい。
 (1980.9.7週報「キリストの福音」より)






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# by hioka-wahaha | 2017-07-31 23:30 | 日岡だより

No.810 《聖書のことば》主の食卓/聖句暗記のおすすめ(16) 2017.7.23

《聖書のことば》聖書暗記コースB~10
主の食卓

キリストを受け入れる「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」
(ヨハネの黙示録三・20)
 
 「神の国で食事をする人は、さいわいです」と人は事もなげに言う。しかし実際に神の国の盛大な晩餐に招かれると、人はだれも来ないのです。(ルカ一四・一五以下参照)
 そこで主は言われる。「私のほうから出かけて行こう。友よ、戸をあけて下さい。それだけでよい。そして、わたしはあなたの部屋に入り、あなたの貧しい食卓を祝して、盛大ににぎわし、そして共に食事しよう」と。
(1980.8.31週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(16)

 ヨシュア記一・八の「思い」、詩篇一・二「思う」を新改訳聖書では「口ずさむ」と訳し、なお詩一・二では「思い巡らす」と別訳を注に入れている。これが聖書でいう瞑想であり静思である。
 東洋風の無の瞑想について。これに近いことを西洋のキリスト教神秘家たちも説いている。しかし、すべてのクリスチャンに必須のこととは言わない。
 神秘主義は重要であるが危険である。サタンの誘惑の多い道であり、しかも信仰の最初と成長のためにぜひ必要というものではない。
 最初の回心は、通常どう考えても、いわゆるエクスタシー下でもベーター脳波でもない時におこっているように思われる(かといって普通一般の心理下でもないかもしれない。心理神経学?としては研究のいる所であろう)。
 ところで信仰の成長のためには、ぜひとも御言の瞑想が望ましい。はっきり、そうと自覚しなくても信仰の成長途上にある人は、みな自動的にしていることである。そして瞑想するためには人は必然的に御言を暗記しなければならぬ。暗記していない御言を瞑想することは、およそ不可能であるから。
 (1980.8.31週報「キリストの福音」より)





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# by hioka-wahaha | 2017-07-31 23:00 | 日岡だより